今日の一句2006年03月04日 23時59分54秒

ぐちゃぐちゃ

部屋中が 散らかりまくり 夜が更ける~(ばるタン)

3万5千分の12006年03月06日 09時27分50秒

県民大会に行って来ました。

日差しが強くて日傘がほしい、でも風が冷たくて冬のコート持ってきてよかったね、というお天気でした。
ただ会場に座っていただけなのに、非常に疲れて、家に帰ったらお面とゼッケンのまま寝てしまいました。
うそですけど。
ま、そのくらいの感じで寝てしまいました。

私にとっては、不満だらけの県民大会でした。
移転先の住民代表の3人のお子さんを持つおかあさんの言葉がほんとうに胸を打つものだったのに、議員たちはふがいないと感じました。

まとまらない思いをだらだらごねごねと、夫がらモンに垂れ流していると、がらモンは、
「運動より、選挙が大事なんだ」
と一瞬でまとめあげておりました。

写真がね、ないの。
充電したはずの電池が、どうもダメだったらしく、一枚も撮れなかったの。

それからね、
県民大会に行く前に、おいしいパン屋さんでパンを買おうと思ったのに、売り切れていて買えなかったの。
あれこれがっくり。
ま、こんな日もあるのよ~。

格差是正かよ!2006年03月07日 19時01分30秒

お面のぴぐモン

絶対、やると思ったんだよなあ・・・と
あきらめ顔のぴぐモン

最近のことはぜんっぜん覚えられないが、昔のことはどんどん忘れていく今日この頃であります。

しかし、突然思い出してしまったことがあり、とんでもない内容だがチョー昔のことなので書いてしまう。

沖縄に来る前のこと、それまで住んでいた場所からの距離と、あいだに横たわる海の広さに、ちょっとビビる瞬間もあったのだ。
歩いていけないし、泳ぐのもなかなか大変だと気がついたのだろう。

で、私を沖縄に呼ぼうとしていたがらモンに長距離電話でこう言った。

「行くのがいやだなあ。だって沖縄には核があるし」

がらモンは、その点について一切否定しなかった。

「でも、ぼくもいるんだよ」

愛は核を超え、現在に至るというわけだ。ああアホらしい。


ところで、言いたいことはこれからが本番です。

日本には非核三原則というのがあったが、沖縄は復帰していなかったので、立場がぐずぐずになっていた。
ぐずぐずのまま、ずるずる引きずって、でろでろになってぐちゃぐちゃしている。(意味不明)

「核、あるの?ありそう?あるかも?」というのは沖縄の専売特許だったはずではないか。

でも、横須賀に米軍の原子力空母が来るとなると、神奈川県も沖縄だ。
岩国に軍港ができると、原子力空母も寄港できる規模になるので、山口県も沖縄だ。
六ヶ所村で、核燃料サイクル基地の試験が始まってしまったら、青森県は沖縄よりも沖縄だ。

こんな形の地域格差是正があるとは、思いもよらなかったな~。

その地域の人が、「お金くれるなら多少危険でもしかたない、引き受けましょう」と言ったとしても、その地域限定で事故が起きることはありえない。

それを、日本中で肝に銘じなければならないと思っています。

思い出のてんさぐの花2006年03月08日 22時54分47秒

本日は、スルーしたい現実がありましたので、思い出にひたることにいたします。


小学生のとき、担任の先生に非常に逆ひいきされたことがあり、なかなかつらい日々を送っていた。

理不尽なことで名指しで延々と怒られるのが常だったので、怒られた理由は一つも覚えていない。

しかし、一度だけほめられたことがあり、ほんとうにただ一度だけだったので、それについてはよく覚えている。

あの時、先生は、授業をするのがめんどくさくなったらしく、「一人ずつ前に出て歌いなさい。歌謡曲はだめ」と言い出した。

ほとんどのクラスメイトが音楽の時間に習った歌で、ピアノを習っていた友達が「野ばら」を歌ったりした。

私には、歌いたい歌があった。
NHK「みんなのうた」で覚えた歌だった。
私は、その歌が好きで好きでたまらなかったのだ。

順番が来て、私は前に出て大きな声で歌った。
「てんさぐの花」を。

この歌の魅力は、最初「つめ先」という目の前の小さいことを歌っていたのに、2番になると突然「夜に航海する舟が北極星を見る」という見渡す限り広々とした景色が現れるところだ。
歌の内容に加えて、私は奇妙に沖縄音階に惹かれる子供だった。

歌い終わって席に戻ろうとしたとき、私が何をやってもけなすことしかしなかった先生が、
「いい歌ね。もう一度歌って」
と言った。

ここまで書いてきて、先生は私をほめたのではなくて、「てんさぐの花」の歌が気に入っただけだったんだ、やっぱりただの一度もほめられていなかったんだなあ、と気がついたわけなんですけどね。

思い出のどひゃーな番組2006年03月09日 23時54分42秒

また、沖縄に来るずっとずっと前の、沖縄関連の思い出でございます。

「沖縄から放送」というテレビの公開歌番組があったので興味津々で見ていた。
復帰する前なのか、あるいは復帰直後なのかすでに定かではない。
NHKの「ふるさとの歌まつり」か何かだったのではないだろうか。

番組の後半、舞台に椅子が2つ置かれた。
正装した津軽三味線の人と、沖縄三線の人が出てきて座った。
それぞれの楽器の特徴が楽しく解説され、簡単な曲の合奏があった。

「では三味線対決です。まず津軽三味線の独奏をお願いします」と、司会者は言った。

その演奏を言葉で表現することはできない。
先ほどの合奏とは全然ちがう渾身の熱演で、迫力に心をつかまれてふりまわされるようだった。

子供心に心配した。
「ああ、沖縄のしゃみせん、負けちゃうよ。絶対負けるよ。こんな演奏聞いたことないもん」

素晴らしい演奏に、会場も大喜びの大喝采である。

次に沖縄三線の独奏が始まった。

それはそれはすごかった。
「なにこれー! 津軽三味線もとんでもなかったけど、これもとんでもない!」

甲乙つけがたいとかの問題ではなかった。
2つの演奏を味わえた幸運を、音楽の神様に感謝するばかりだった。

「会場の人たち、うれしいだろうな。沖縄のしゃみせんもすごくて」と私もうれしかった。

ほんとうにうれしかったのよ。

だけど、会場の人たちはもっともっとうれしかったのね。
それにあの演奏を聞いてじっとしていられるわけがない。
どんどんどんどん勝手に舞台に上がってきて、笑顔の人たちで舞台は満員。
身動きもとれないくらいの人数で、カチャーシーの乱舞になったのだ。

沖縄のお年寄りのカチャーシーは、実に美しい。

演奏でびっくりした上に、さらにカチャーシーにびっくりして、ぽかんと口を開けたまま、夜が更けていったのでした。