県民大会エピソード ― 2007年10月12日 03時09分44秒
友達や知人から聞いた、県民大会の話です。
バスで会場に向かった友達の話。
「那覇バスターミナルは、会場に行く人でいっぱいで、バスは満員で出発。
途中、どのバス停にも人が大勢待っている。
だけど、すでに満員だから乗せられないの。
大渋滞で、バスターミナルから会場まで2時間かかったのだけど、文句を言う人は誰もいなくて、それに感動した」
ついにたどり着けなかった人も多かったことでしょうね。
私がチラシを配っていた場所(歓海門)より、もっと人通りが多かった場所(コンベンション側)で辺野古のチラシを配っていた人の話。
「人がどんどん来るので、チラシが配りきれない。
信号が青になると、どーーーっと人が来て目が回るほどなんだ。
必死で配っていたんだけど、『道のあっち側で配れば、赤信号で待っている人に配りやすい』と気がついた。
気がついたのが1万枚のチラシを配り終える頃だった。
1時間で1万枚配ったから、もっと用意してもよかったな」
私たちも、2500枚用意しましたが、枚数が全然足りませんでした。
参加人数のことで、バッシングされておりますが、12500人は確実に参加されたということですね~。
こんな話もありました。
「自分たちのそばで、知らないやつが3人ビラ配りをしていた。
てっきり仲間だと思って、『手伝いましょうか』って言ったら『いえ、いいです』って言うんだ。
そしたら、『集団自決に軍命はなかった』ってビラだったんだよ。
あやうく手伝うとこだったよ」
そういう人たちが、袋叩きにも遭わず、文句も言われずに、平和にビラ配りができたんですね。
帰りのシャトルバスを待つ人たちも、静かにきちんとにこやかに並んでいました。
最後の人が乗り込むまで、2時間近くかかりましたが、みんなが譲り合い、トラブルはありませんでした。
今思い返しても、言葉では表現できない、不思議な優しい空間にいたような気がしてしかたがないのです。
いろいろな方が参加されていた中に、牛島司令官(沖縄戦の一番エライ軍人さん)のお孫さんもいらっしゃいました。
小学校の先生で、平和学習に力を注がれているのだそうです。
翌日の新聞でそのことを知り、胸がいっぱいになりました。
県民大会写真集 ― 2007年10月13日 01時07分57秒
「沖縄の うねり」
琉球新報社が、こんな写真集を出しました。
県民大会の会場で配られた号外つき。
眠っている子どもを膝に抱いているおとうさん、
杖をついて、会場を歩くおじいさん、
壇上にずらりと並ぶ、市町村長のみなさん、
写真を見ていると、涙が出ます。
ゼッケンや、私たちが配布したチラシが写っていないかな~、と目をこらしているのですが、写っていないみたいです。
みんながこぶしを上げている一枚の写真を見て、笑いが止まらなくなりました。
さっきまで、泣いていたのにね。
高く掲げられた手作りプラカードに、こんな文が書かれていたからです。
「沖縄に キノコと 平和を!」
かわいいキノコの絵までついているけど・・・いったい何なんだ。
ほしいもの一つ ― 2007年10月14日 00時09分45秒
ソーダブレッドというのを教えてもらったのでやってみました。
・・・・・・。
・・・・・・・・これで、いいの?????
ふくらんでいないパンみたいですけど・・・・。
中田英寿が、「ほしいものを一つあげるとすると何ですか?」と聞かれて、「世界平和です」と答えていたそうです。
テレビを見ていたがらモンが教えてくれました。
「さすが(わたしの)ナカタだわ! かっこいい! その通りよー!」と、ウルウルしました。
かつて、ナカタがトーハトの役員になったと聞いたとき、思わずキャラメルコーンを買ってしまったんですよ。
何十年もキャラメルコーンと接点なく暮らしていたので、パッケージが変わっていてびっくりしました。
で、一袋食べたら気持ち悪くなったんですけどね。
キャラメルコーンまた買おうかな、
いや、もう役員やめたかも・・・と思っていると、
「ま、その通りなんだけどね、抽象的なのが難点だな」と、がらモンは言うのであります。
じゃ、ナカタの望むことを具体的に表現してみようではないの。
「えーと・・・世界中の兵器が全部腐っちゃって、作ったとたんに壊れちゃう」
「それだと、ほしいもの二つになる」
むずかしいなあ・・・・。
映画「不都合な真実」で、ゴアさんが「地球温暖化を防ぐために戦争はしてはいけない」と言ったとき、非常に新鮮な驚きがありました。
アメリカの人からそんなお言葉を聞くのは初めてかも・・、と思ったのです。
ノーベル平和賞の受賞のニュース、しみじみうれしく聞きました。
ブッシュさんには、私から、非平和賞をあげましょう。
祈りの場所 ― 2007年10月16日 01時26分18秒
ついに、県民大会の参加者が1万3千人になってしまいましたあ。
「検定意見の撤回に反対するための集会」で報告された数字ですYO。
集会開催直後は、「参加者の数は問題じゃない」とも言われていましたが、すごく数字にこだわっておられるのがよくわかりますねー。
繰り返しになりますが、沖縄では、「11万人集まったんだから撤回して!」とは言っていないんです。
子や孫や曾孫が戦場を逃げまどうことがありませんように、そのために文章を元通りにして、と願っているのです。
戦争にどんな美しい大儀があろうと、戦場で何が起こるのか、沖縄の人たちは身にしみています。
軍隊に協力を惜しまなかった結果、故郷の山河がどうなったのか、沖縄の人たちは見てきました。
アメリカの軍政下から日本に復帰しても、それから何度内閣が変わっても、戦場での想像を絶する悲惨な記憶から逃れることはできないのです。
そんな体験を、子どもや孫にさせるわけにはいかない。
県民大会にあんなに大勢の人が集まったわけは、自分の子どもや孫、そしてあらゆる子ども達のためでした。
もちろん「検定意見の撤回に反対するための集会」に参加した人たちの子どもや孫たちも含まれています。
「沖縄に キノコと 平和を」
「未来のすべての子ども達に 平和を」
県民大会は、祈りの場所でした。
遺伝子商法 ― 2007年10月16日 23時38分22秒
このマークは「有機JASマーク」
遺伝子組み換え原料を使っていない印だそうです。
豆乳を飲もうと思って、このマークを選んで買いました。
先だって、ジュゴン保護の署名をグリーンピースジャパンが集めていました。
目標は1万人だったのですが、署名はどんどん集まって、目標を軽くクリア。
最終的には、3万人もの方が署名してくださったのです。
私もネット署名に参加しましたが、その時に「遺伝子組み換え食品のガイドブックを無料でお送りします」というところの、「無料」という二文字に目が留まり、申し込みました。
その小さな冊子が送られてきたのです。
読んでみると、大好きなあのお菓子とかあのアイスとか、健康にいいかもと思っていたあの食用油とか、ばっちり遺伝子組み換え食品でした・・・・。
なんでこんなことになっちゃったの????
いったいどうして遺伝子組み換えをしなくてはいけないの?????
冊子を読み進めていくと、遺伝子組み換え食品の90%は「モンサント社」が開発した、と書いてありました。
また出ました、この名前。
枯れ葉剤を作らせたらピカイチの会社「モンサント社」(←以前の記事にリンク)です。
紛争が起こればまず「枯れ葉剤」を売る。
そして、作物が育たなくなったら、枯れ葉剤に耐性のある「遺伝子組み換え作物」の種を売る、という商法で儲けている会社ですよ。
友達にこの話をしたら、「なんて頭がいいんだ! それだけ頭がいいのに、人助け方面のことは考えないんだね・・・」と嘆いていました。
ネットでも内容を見ることができますが、友達に手渡せるという点で、冊子は便利です。
グリーンピースに申し込むと、3冊送ってもらえますよ。
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