最終回までドキドキ「琉神マブヤー」2008年12月26日 00時48分26秒

ワシミルクと黒猫

ワシミルク買いました。
298円でした。
今はネスレ日本になっていて、「イーグル」「コンデンスミルク」「加糖練乳」などと日本語が書かれていますが、かつては横文字ばかりの缶だったんです。
ですので、鷲のマークのついたこの缶は「ワシミルク」と呼ばれていたのでした。
沖縄人のネーミングセンスに脱力しながら脱帽しますわ。
生クリームの缶にはカーネーションの絵がついていたので、「カーネーションミルク」(そのまんま)。カーネーションミルクは会社がなくなってしまったので、もうお目にかかれません。



やることはだらだらしているくせに、気分だけは焦ってしまう年末です。

三線のお稽古も、今日で終わりました。
先生は、年末年始も休まずにお稽古をしたいようですが、そうなると次のお稽古日は元旦です。
さすがにあきらめてくださって、一回だけお休みになりました。


楽しみに見ていたテレビドラマも、次々に最終回。
うんうん、と深く頷く最終回もあれば、「え~っ、これで終わり?つじつま合ってないですけど」と納得いかない最終回もありました。

でも、まだ一つ、「琉神マブヤー」の最終回が残っています。
いったいどういう終着点になるのか、ドキドキなんです。

悪の軍団(これがとても魅力的だったりする)に奪われた、沖縄の魂を取り返すために闘っていたマブヤーですが、力で相手を倒すことに疑問を感じているのです。
子供向け15分番組でありますが、テーマは海のように深く空のように広い。

強大な武力で地形まで変わった沖縄戦。
武力が敵も味方も不幸にした沖縄の地に生まれたヒーローですから、「強い方が勝つ」というオチにはなってほしくないんですよね。
最終回を見終わったとき、テレビに向かって拍手したい。
そんな結末になりますように。

たっぴらかす!2008年12月28日 01時35分59秒

琉神マブヤーの車です

琉神マブヤーも、ついに最終回。

ヒジュルーゾーンに飛ばされたオニヒトデービルが気がかりだけど。
ナニゲに立ち去ってしまったマングーチュにまた会いたいけど。

ほんとうに楽しませていただきました。
ありがとう!


最終回の感動の余韻に浸りながら野菜を買いに行ったら、琉神マブヤーの車に遭遇しました。

年末年始でお酒を飲む機会が多いと思いますが、飲酒運転はダメです。
たっぴらかされますよ!

では、また来年!2008年12月30日 14時42分50秒

兄と妹

ぴぐモンとニャンギラスが今年の反省と来年の抱負を話し合って・・・・いたら、すっごくイヤ。



毎朝5時半になると、耳元でわめくandヤスリ状の舌でなめるand噛むニャンギラス。
目覚まし時計が憑依しているらしいです。
今まで使っていた本物の目覚まし時計の出番がなくなってしまい、アラームを解除しました。

そういえば、ニャオスが来たばかりのときも、「ごはんごはん」と起こされていたなあ。
でも、少し待てばそのうちにごはんが出てくる、と理解したのか、ニャオスもぴぐモンも「人が寝ている間は寝ておこう」と安眠をむさぼっています。

ニャンギラスも、ついにやっとその境地に到達したのか、人の生活に合わせて寝てくれるようになりました。

これは、非常に歓迎すべきことですよ。
でも、猫式目覚まし時計が鳴らなかった日、私はすっかり寝坊してしまい、思わず「何で起こしてくれなかったのよー」と言ってしまったんです。

じゃー起こせばいいんでしょ、とニャンギラスは思った・・・のではなかろうか。


その次の日からまた起こしてくれるようになりました。

深夜2時と、早朝4時に・・・・。
あのー、もしもし、なんで回数が増えるんですか。
2時に起こされても、絶対ごはんは出さないし、意味がないですよ。
もしかして、私を起こすのが趣味なのか?

4時、ニャンギラスが私を起こすのに成功すると、兄姉もすでにそれぞれのごはんの定位置にスタンバイしています。
時々ごはんを食べ残すこともあったぴぐモンとニャオスですが、ニャンギラスが来てからは競うようによく食べてくださいます。
音を立ててフードを噛む兄妹の姿を見るにつけ、手足を伸ばして熟睡している兄妹の姿を見るにつけ、「ああ、この世のパライソ」と思わずにはいられません。




今まで私は餓えたこともないし、あたたかい場所で眠ってきました。
自分が食べるだけでなく、犬猫ハムスターを養うことができました。
空から雨や雪が降ってくるのは見ましたが、砲弾は降りませんでした(県内一部地域を除く)。
独裁者の演説会場に動員されることもなく、自分が行きたいコンサートのチケットを買って見に行くことができました。
体の具合が悪ければ、病院を選んで行くことができました。
世界の状況を見ると、それがどんなに「いいとこ取り」な人生だっただろうか、と愕然とします。

少し前まで、私は自分の行く末を、こう思い描いていました。
「老人ホームで、いつもぼーっとしているんだけど、月に一度、犬や猫が訪問する日にだけ妙にハイテンションになる婆さん」
だけど、このご時世では、老人ホームに入ることはできず、路上にさまようことになるでしょう。
たとえ将来、路上の婆さんで人生を終わるとしても、私からこれまでの幸せを奪うことはできません。

今年も、私にとって幸せな一年でした。

でも、来年はもっともっと幸せになりたい。
基本的人権が守られるおだやかな生活が、世界中の人に訪れる。
死後の世界でなく、現実の地球の上で。
それこそ、私の究極の幸せであり心底望んでいることです。

たとえドリーマーと呼ばれたとしても、そう思っているのは私一人ではありません。
いつかきっと世界は一つになることでしょう。
と、ジョン・レノン「イマジン」の歌詞のパクリで、今年の記事を終わります。

では、みなさん、また来年お目にかかりましょう!