22世紀の雛祭り2009年03月05日 23時56分07秒

1974年3月2日、那覇市小禄(おろく)で不発弾が爆発し、雛祭りを楽しみにしていた幼稚園の園児1人と工事作業員の人3人が亡くなるという大事故が起こりました。

爆発で、大量の土砂が幼稚園の庭を覆い、遊んでいた園児が土砂の下に埋まってしまったのです。
駆けつけた人たちが、手で土砂をかき分けるのですが、土砂はぬかるんでいて、なかなか掘れなかったそうです。

義妹は、事故を知らずに、その場所を通ったときのことを話してくれました。
「朝は普通に通ったんだけど、帰りには建物が何も無くなっていて、土だけ」

幼稚園はその場所から移転しましたが、今でもその幼稚園では、雛祭りの行事ができないのだそうです。


沖縄の不発弾は、全部を掘り出して処理を終わらせるには、22世紀を待たなくてはいけないと聞いたことがあります。
はい、22世紀を待ちましょう。
沖縄がずっと爆撃されることがなく、不発弾が増えさえしなければ、処理はいつか終わるのですから。

そのときには、みんなで盛大な雛祭りをしましょうね。

コメント

_ yonacchi ― 2009年03月06日 14時55分13秒

 言葉数が少なく、でもひかえめに、的確につぶやいていたあっこさんが、懐かしくてたまりません。

広島も楽しかったし、大阪でも沢山ともだちできたけど、沖縄のあの時は
わすれられないね。

 何にも知らない生意気な私を、みんな優しくしてくれて、教えてくれて、
しあわせでした。

 もう七年くらい沖縄へは帰っていませんね。

みんなには会いたいですね。

娘は、9日から大学の研修でオクマにいくのですが、何を学んでくるかな!

大好きな沖縄の何を感じてくるのでしょうかね。

_ ばるタン ― 2009年03月06日 22時38分52秒

◆よなっちさん
団地に入居したのは昭和でしたから、もう20年もたってしまいました。
赤ちゃんが次々に生まれたあの頃のことは、今でもとてもなつかしいです。
よなっちさんは、私より10歳くらい若いのですが、一瞬で友達になっちゃって、しかも私が頼りきっていました。
団地に来て、よなっちさんと知り合えてラッキーでした。ほんとうにありがとう。

そういえば、うちのベランダの物干し竿、よなっちさんが引っ越すときにもらって、今でもしっかり現役ですよ。

団地の人も20年でずいぶん入れ替わりました。
バイト先の洋服屋に、なつかしい人がお客さんで来ることがあります。
10階に住んでいたユウキのおかあさんとすごく久しぶりに会ったときは、なつかしくてちょっと涙出ちゃった^^;

あのときの赤ちゃんが、立派に子育てしていたりするから、20年で一世代ずれたんだな~、と感慨無量です。(年取るわけだわ^^;)

娘さんの研修、充実した楽しい沖縄の思い出になることでしょう。お天気に恵まれますように!

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