くすねた救援物資2011年05月22日 23時12分14秒

毎朝毎晩、紅茶やコーヒーを飲んでいて、いつもマクドナルドのマグカップを使っている。
とっても丈夫なマグカップで、もう16年使っておりますよ。


今度の震災で、団地に避難して来たのは今のところ2世帯。
阪神大震災の時は、10世帯以上が避難してきました。

当時私は、団地自治会の役員をしていたので、手押しキャリーで団地中を回って、救援物資を集めた。
団地の人たちは、「待ってたのよ」「来てくれてよかったわ」と、あれもこれも出してくれた。
食器やタオルは、引き出物の新品がたくさん集まった。
カーテンレールを出してくれた人もいた。
ツナ缶24個入りの箱や、海苔や干し椎茸もあった。(沖縄のお歳暮の定番だ)

その中に、マクドナルドのマグカップがあったので、被災者に届ける前に、私がもらってしまったのだ。役得?隠匿?
被災者からくすねるのか?私、とは思ったんですけどね。てへ。

で、山積みのキャリーを押して、避難してきたお部屋を巡った。
喜んで出してもらった救援物資は、喜んで引き取られていった。

避難してきたのは、お年寄りや家族連れ、一人世帯などさまざまだった。
一人暮らしの若い女性が3人いたので、お友達になったら心強いだろうと思って、うちに来てもらったことがある。
家具や物のないガランとした部屋から、ごちゃごちゃした私の部屋に入ったおじょうさんたちは、不思議な風景を見るように、部屋中きょろきょろしていた。
そして、大きな箪笥を見て、口々に言った。
「ここで寝てたらダメでしたね」
「そうそうダメダメ」

1年を過ぎた頃、ほとんどの人は阪神に戻っていった。
3人のおじょうさんのうち2人は、結婚して団地を出た。
団地に正式に入居して、今も暮らしているのは2世帯だけになっている。


先日、いつものようにレジに立っていたら、「あっ! ばるタンさんだ! 私を覚えていますか?」と声をかけられた。
結婚して団地を出たおじょうさんの一人だった。
少し離れたところにいただんなさんも、「来て来て! 団地のばるタンさんだよ!」とむりやり呼ばれ、二人並んで挨拶してくれた。


今度の震災で、ふるさとを離れた人たちが、どうかそこで新しい縁を得ることができますように。
私には夢見ていることがあるんだ。
それは、何年か後に、福島弁が日本中を席巻すること。
日本中に広がった福島弁が、新しい日本語になること。
想像するとわくわくします^^

コメント

_ KIRI・・・・・・ ― 2011年05月23日 19時30分29秒

そのときがきたら吉里蔵人(在:吉里空国)が私のハンドルネームです。

_ ばるタン→未来の吉里蔵人さん ― 2011年05月23日 21時43分35秒

おお!真木蔵人みたいでかっこいい!
三陸沖でサーフィンしそう!

_ こなみ ― 2011年05月24日 13時29分29秒

16年前は 多くのかた、沖縄の方々にも お世話になって
本当にありがとうございました。

あのとき 北海道ガスの方が ガスの工事を
してくれて、いろんな救援物資をいただいて・・・
と思い出すのですが、その当時は
自分のことと家族のことだけしか考えておらず、
どんなに多くの人の支えがあったか
全く気がついていませんでした。

いまさらなんですが、
ちょっとでもできることを続けていきたいですね。

そうです、洋服ダンスの置いてある部屋で
眠るのはダメダメですよ~~。

_ ばるタン→こなみさん ― 2011年05月25日 00時38分44秒

16年前に、食器や缶詰を出してくれた人は、口々にこう言っていました。
「集めに来てくれてありがとう」って。
みんな、支援したくてたまらないのです。
争ったり蹴落としたりするのではなく、みんなで助け合って暮らしていきたいのです。

今度の震災で、いち早く動いてくださったのが、関西地方のNPO法人だったではありませんか。
そのことに、胸が熱くなります。

私もできることを続けていきます。

洋服ダンスの部屋では、ニャオスが寝ていますが・・・。

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