10年目の犬です2007年05月26日 14時08分52秒

しろつめくさぴぐモン

今年で10年ということで、新聞には児童殺傷事件の関連記事が出ています。

重苦しい事件でした。
鳩や猫に対する虐待が報道されていました。
殺された小動物が放置されている公園で、楽しく遊べる子供がいるでしょうか。
その地域を覆う空気を想像すると、胸が痛くなりました。

テレビが、まだ捕まらない犯人像をあれこれ(勝手に)話していた頃のことです。

ベランダから外を見ると、何度か見かけたことのある野良犬が、駐車場を歩いていました。
そこに、少年たちが5,6人やってきました。
中学を卒業したあと、何もしていなかった団地の少年がリーダーで、あとは取り巻きです。

どうやら、犬を呼んで手招きしている様子です。
犬は尻尾を振って近づいていきました。

悪い噂をあれこれ聞いていた少年ですが、犬が好きなのね、かわいいところがあるじゃん、と思って見ていました。

でも、少年がしたことは、犬の前足をつかみ、ハンマー投げでもするように、ぐるぐる回すことでした。

ぐるぐる回される遠心力で、犬の体は水平に浮かんでいました。
少年が手を放せば、犬は勢いよく遠くに飛んで、駐車場のコンクリートに叩きつけられる!でもベランダから叫んだら、その瞬間に手を放してしまいそうで、息もできずに見ているだけでした。

中心で自分も回っていた少年は、そのうち自分でも目が回ったのか、回転をやめ、犬を乱暴に地べたに置きました。
犬は歩けませんでした。
歩けない体で、少しでも少しでも、少年から離れようと這って後ずさりしていました。


この犬を拾おう、と決意したのはそのときです。


団地の子供たちに、犬がいじめられているところや、いじめられて死んだ犬の姿を見せるわけにはいかないと思いました。
保護できなかったら、私は絶対に後悔する、一生後悔する、と思いました。


ま、後悔しないですんで10年たったわけです。

すっかり忘れていたことですが、新聞記事のおかげで久々に思い出してしまいました。


ぴぐモンもすっかり忘れていることでしょう。

拾ったばかりの頃、少年が作業服のようなものを着ていたためか、作業服の人を恐がっていたのです。
今では、おやつをくれる人なら何を着ていてもOKですよ!
(注意点:ぴぐモンと遊ぼうとして、ぴぐモンのおもちゃを手に取った人はもれなく咬まれます)

思わぬ結末2007年04月08日 23時40分33秒

今日は雨の中の散歩でした。
新芽がつやつやと輝いています。
しっとりと濡れたアカギの幹が美しく、抱きついて一体化したくなりました。

ちょっと、ちょっと、と言いたくなることがあっちもこっちも次々に湧いてきます。
煮えたお鍋をおそるおそる覗いているような気持ちです。

ですので、脈絡もなく、中学の時の思い出を書きます。



中学の卒業間際、みんな進学や就職が決まったので、授業をしても気もそぞろ。
先生の配慮で、女子はバレーボール大会、男子はサッカー大会で一日を過ごすことになった。
バレーボールは9人制。1クラスから2チーム出場する。

私のクラスは、偶然バレーボール部が多かった。
バレーボール部と運動神経のいい子を集めてAチーム、残りのどうしようもない子でBチーム、ということになった。
トーナメント方式なので、チーム編成をした時点で優勝候補である。

私は当然、残りカスBチームに配属されてみんなのお荷物になるはずだったが、捻挫していたために線審係になった。

Bチームは順当に負け、Aチームは自信満々、やかましく相手を馬鹿にしながら順当に勝ち進んだ。

そして、決勝戦。

相手チームのメンバーを見て、私は目を疑った。

9人の真ん中に、バレーボール部長だったCさん。
小柄で細っこい、無口で生真面目な人だ。
その周りに8人、背の高い子を揃えたチームだった。

背も高いけど、横幅も育って、運動をさせたらドタドタしてみんなのあとをやっとついてくる子。
大きな体が目立たないように、クラスでもおとなしくて、手芸部とかに入っている子。
そういう子ばかり8人だ。

「何、あのチーム」
「もう勝ったも同じよ」と私のクラスのAチームは口々に言ったし、私もそう思わざるを得なかった。


ところが、試合が始まると、「このやり方で決勝まで来たのか!」とビックリしながら納得することになった。

サーブが入ると、Cが拾う。
そして「○○さん」と指示する。
○○さんは、ボールを高く上げる。
それをまたCが相手コートに打ち返す。

つまり、Cがレシーブとアタックと監督を一人でやっていたのだ。


運動能力の高いうちのクラスAチームは、プライドも高かった。
何としても勝たなくては、と強いボールをばんばん打ち込む。

相手チームはCの疲れが限界に来ていた。
しかし、Cが疲れて動きが鈍くなってくると、8人がドタドタしながらもフォローするようになっていた。
Cの指示を待つことなく、汗もだらだら、顔も真っ赤にして、しゃにむにボールに向かう。

普段、運動なんかしたことがないので、手足バラバラの変な格好になりながら、ボールを追う。
普段、切れのいいかけ声なんかかけたことがないので、「ふぎゅぐ」とか変な声を出しながら、必死だった。


そしてついに、接戦に次ぐ接戦だった試合は、相手チームの粘りがまさってゲームセットになった。


バレーボールという競技は、相手から来たボールを相手に返し続けたら、いつかは勝つのね、と頷く私。


悔し泣きにくれるAチームを慰めようと駆け寄る私だったが、思わず相手チームをほめてしまいヒンシュクを買ったものだ。


今でも、「いい試合を見たなあ」と思い出す。
誰一人想像しなかった結末もあるんだよなあ、とうれしくなるのだから、Aチームのみんな、ごめんね。

防空壕2007年04月04日 23時53分14秒

私の母は戦時中の女学生で、勤労奉仕のためにほとんど授業が受けられなかった世代です。

母の学年はおとなしい少女が多く、先生の言うことには「しかたない」と従っていたそうです。
でも、母たちの一学年上には、個性の強い少女が多かったとのこと。

たとえば。
朝礼で戦意高揚の歌を歌うときに起立しない。歌わない。
千人針を頼まれても、絶対にやらない。

良心的起立拒否、良心的千人針拒否をしていたのですね~。



沖縄に来る前のことですが、「近代日本美術の歴史」がテーマの展覧会に行きました。
明治から現代まで、その時代の代表作が展示されていました。

西洋絵画を必死で取り入れようとしている明治初期。
労働者の姿がキャンバスに現れる大正時代。
大御所も若造も、前衛とサイケに走った70年代。

どの時代も興味深かったのですが、使われる色がどーんと暗くなり描かれる姿がリアルになるのが戦争絵画です。
落下傘部隊の絵とか、山下大将が「イエスかノーか」と迫っている場面など、モノクロの写真としか思えません。

戦争絵画は、わかりやすい絵なのですが、やはり重苦しいです。

でも、その中に一枚、光がこぼれてくるような明るい絵がありました。

どこか南の国の乙女が、色とりどりに咲き乱れる花のアーチをくぐり、こちらに一歩足を踏み出したところの絵です。
美しい布を腰に巻いた清らかな乙女です。

色も内容も暗い絵を見てきたので、みんなその絵の前で足を止め、思わずにっこりしてしまうのでした。

で、ふと気がつくわけです。
「あり? これが戦争絵画? ここは戦争絵画のコーナーだよね・・・」

近づいて、絵の題名が書かれたプレートを見ると、なんとその絵の題は「防空壕」。
どこが防空壕? お花のアーチの奥に、ちょっとだけ洞穴のようなものが見えなくもないですが・・・・。

もしかして、軍部から依頼されたのが「防空壕」の絵???
それで、描き上げたのが健康美あふれる乙女の絵????

良心的防空壕拒否ってか????


作者名は忘れてしまいましたが、あの生命力に満ちた乙女のことは忘れられません。

卒業の頃2007年03月16日 23時54分17秒

卒業式シーズンなので、卒業に関連した思い出を書きます。


中学校の卒業式の少し前、体育館で「お別れ会」をした。
各クラスごとに、出し物をすることになっていた。

私たちのクラスからは、吹奏楽部だった4人が演奏をするのと、落語にハマっていた子の落語、と学級会で決まった。
仲のいいクラスだったので、話し合いもあっという間に終わり、「よし! これで行こう!」と全員が成功を確信していた。
こういう話し合いには、担任の先生は参加していないが、「うちのクラスが一番だ」と言ってくれることだろう。

というわけで、その日がやってきた。
ほかのクラスは、全員がだらだらと舞台に上がって合唱をしたり、フォークギターで歌ったり、と全員が出るので同じような出し物だ。
何をやるかぎりぎりまで決められなかったらしく、珍妙な出し物だったりもする。

私たちのクラスの番になり、吹奏楽部の精鋭たちによるグリーンスリーブスの合奏になった。
みんな聞き惚れてうるうるしているのが手に取るようにわかった。
さらに落語が大受けで、全員が大笑いだ。

「うちのクラスのグレードの高さを見たか!」と思ったものだ。


しかし、あとで担任の先生に言われてしまった。
「お前たちにはがっかりした」と。

グレードの問題じゃない、まとまりが悪くてもいい、全員が舞台に上がるのを先生は見たかった、一人一人の顔を見たかった、と言うのだ。

ええ~っ! そんなこと、今さら言われても・・・・。
でも、確かにそうかも・・・・。
信頼していた担任の先生にそう言われて、鼻高々だった私たちは、しょげて深く恥じた。


最近、合奏をした中の1人の消息を聞くことができた。
あの時、演奏をしたことが、とてもいい経験と自信になっているようだ。
何もしなかった私には、何もない。
先生の言うことが正しかった、と今さらながら思う。


卒業式に「仰げば尊し」を歌いたい、と言う生徒たちに、先生たちはこぞって反対した。
「お前たちに恩を感じてもらえるようなことは何もしていない。だからその歌はふさわしくない」というのが理由だった。


ラッキーな中学生だったなあ、私。

リアルタイム「どろろ」2007年01月28日 23時18分10秒

「どろろ」
「バンパイア」
「W3」

小学生のワタクシがリアルタイムで読んだ、手塚マンガの数々です。
これらの名作を、毎週楽しみにすることができたとは、実に幸運な小学生と言えますね~。

「どろろ」で、印象深かった場面はたくさんありますが、小学生たちを「うわ・・・」と絶句させたのは、どろろのおかあさんでした。

赤ん坊のどろろに食べさせるものが無く、お粥がもらえるお寺に行きます。
飢えた人たちが長い列を作っていて、やっと順番がくるのですが、おかあさんは器を持っていません。
やけどするのもかまわず、両手をお椀にして、熱いお粥を入れてもらい、どろろに食べさせるのです。

「ああ~、こんなに手が赤くなって・・。ああー、痛そうだよー」
クラス中大騒ぎですよ。
焼けただれて赤くなった手!
でも、一色刷ですけど何か。


もう一つ、みんなの話題にはならなかったのですが、ワタシには強烈だったところがあります。

百鬼丸が妖怪と戦っている間、地面に座って待っていたどろろが、丸々としたイモムシをつかまえて食べる場面です。


のほほんとした戦後の子供に、飢餓を教えてくれたのでした。


映画にはあるのかな。この2つの場面。