講習くゎいの思い出2009年03月17日 01時27分41秒

思い出が芋づる式にズルズル出てきましたよ。

沖縄に来て、なんとか会社にもぐりこんだ頃の話です。

その辺りの会社が集まって組合を作っていて、組合主催で生け花教室をするというのです。
お花の実費だけ払えばいいらしいので、さっそく申し込みました。

お稽古が始まる時間を待ちかねて、会場の集会室に行ってみると、なぜか式典の準備が出来ていました。
組合長のお話やら、先生の紹介やら、まるで入学式のようなセレモニーをやるようです。
きちんと並べられたパイプ椅子に、私を含め20人ほどの女性たちがかしこまって座ります。
来賓のご挨拶を聞きながら、頭の中では、前日読んでいたエッセイのことを考えていました。


エッセイはこんな内容です。
「四国のある地方では、『じ』と『ぢ』の発音がはっきり違う。『地震』は『ぢしん』と発音するが、テストでは『じしん』と書かなくてはならず、間違える子供が多い」

こうも書かれていました。
「九州では、今でも『か』と『くゎ』の二種類を使い分ける人がいる」

そういえば、古い本をルビを頼りに読んでいると、よく『くゎ』という表記が出てきます。
昔はみんなが使い分けていたのだそうです。

ということは、昔はちょうちょのことを「てふてふ」と言っていたということでしょう。
どじょうのことは「どぜう」と言っていたはずです。


そんなことをぼんやりと思っているうちに、プログラムは進み、組合長の挨拶になりました。
組合長は、マイクを前にして言いました。

「このたび、生け花講習くゎいを開催するにあたり・・・」


今だったら「キターーーーー」と思ったことでしょうが、当時はそんな表現はありません。
「ナマ『くゎ』を聞いちゃったよ」というような表現もありません。
ただ、しみじみと感動しながらパイプ椅子に座っていたのでした。

職探しの思い出2009年03月14日 23時58分54秒

写植の文字盤を見ているうちに、沖縄に来た頃のことをあれこれ思い出しました。

写植で就職しよう、と決めていたので、職安に通うのはもちろん、新聞に求人が載るたびに面接を受けに行きました。
で、ことごとく不採用、と。

地図を頼りに尋ねた会社は、細い小径を延々と歩いていった先にあり、道の両脇は延々と豚小屋。
採用されたら、毎日、この道を歩くのか・・・と、ちょっとわくわくしたんですけどね。
当時、沖縄の人以外(ナイチャー)を雇うのが想定外だった会社も多く、軒並み断られていました。

面接で、「高校野球で、沖縄とあなたの県が対戦したらどっちを応援するんですか」などと言われたりしました。

なかなか仕事が見つからないので、業を煮やした私は、電話帳を広げ「印刷」や「写植」と書いてあるところに電話をかけまくりました。
「写植オペレーターはいりませんか?」
このとき、写植学校で2ヶ月基本を習っただけで、実際の経験はゼロ。
電話をかける相手へのリサーチもゼロ。
今思い返すと、私も若かったということだな~。


「写植オペレーターはいりませんか?」
「ほしいですな」


いきなり電話する方も図々しいけど、平気で応える会社も、ちょっと変かも。
そこの会社では、女性オペレーターたちが次々産休に入るタイミングだったのでした。

私の沖縄での生活は、そこから始まったのです。
(ものすごく薄給で・・・・)

サツマイモらぶ2007年10月08日 02時53分44秒

かご猫

県民大会関連の記事をしつこく書きます。

高校生たちの間を、こんなメールが飛び交っていたのだそうです。
「将来の自分の子どもや孫のためにも、この大会に参加して、戦争の悲惨さを伝えていきましょう」と。

チェーンメールというものが、イマイチよくわからないワタクシですが、高校生のみなさん、なんかすごいぞ、と思いました。




話は変わって、
今、サツマイモが非常においしいんですよ。

私のマイブームは、サツマイモをさいの目に切ってご飯に炊き込むことです。
ご飯にちょっと塩を入れると、サツマイモの甘さが引き立って、ばくばく食べてしまいます。

食べながら「栗よりうまい十三里半」という昔のキャッチフレーズが頭をよぎりました。

「栗(九里)」と「より(四里)」を足して十三里、それより上だから十三里半という謎解きのようなセンスには脱帽致します。

だけど、昔のサツマイモは、今よりずっと甘くなくて繊維質であくが強かったことでしょうね。


子どもの頃に読んだ、白土三平のマンガ(「ワタリ」かな?「カムイ外伝」かな?)の一場面。

男の人が、畑から掘り出したサツマイモに食らいつく。「う、うまい!」
サツマイモを両手に握りしめ、「やっとできた! 荒れた土地でもできる! これさえあればもう飢えなくてすむ!」と大喜びしていると、流れ弾に当たって死んでしまうのです。

子供心にショックでした。
これからも飢えが続くのか・・・とがっかりしました。(サツマイモ、大好きだし・・・)

でも、今になって考えると、なんと示唆に富む場面だったことか。

戦争=飢える という現実を教えられた小学生でした。

パートのおばさんは見た!2007年09月18日 23時57分41秒

ニャオスの財産

ニャオスの財産も増えてきました。
イチゴハウスと爪とぎ。
(でも、トイレは牛乳パックで作っています。買わなくていいかも・・・)





高校生の頃、夏休みに友達のうちに遊びに行った。

「暑かったでしょ。これ食べる?」と出されたのは、パックごと凍らせる氷菓だった。
「食べる食べる」

パックの上端を切り取って、下から押し出しながらガリガリ食べる。
見たことのないメーカーだったが、オレンジ味でおいしい。

「もう一つ食べる?」
「食べる」

また出してくれたので、また食べる。
それもオレンジ味だ。ほかの味はないのかな?と思いながらガリガリ食べる。

「もっと食べる? 何箱もあるよ」
「もういらないよ~」

そういえば、廊下に段ボール箱が積んであった。

「ほかの味もあるの?」
「全部オレンジ味」

思わず笑ってしまった。「ご家族全員オレンジが好きなの?」

友達はうんざりした顔で「嫌いじゃないけど、家族全員もう完全に飽きている」と言った。

そして、「このパックを見て、何か気がつかない?」とパックを突きつけてきた。


オレンジ色の大きな字で「オレンジ」と書いてあるシンプルなものだ。


「え? 何も気がつかないよ・・・」
「よく見て」
「よく見てるよ・・・あ、あれ?」


よくよく見ると、「オレンジ」ではなくて「オレンン”」となっていたのだ。
だけど、オレンジの絵も描かれているし、字の縁取りが何重にもあるので、パッとみたら目が勝手に「オレンジ」と読んでしまう。


「こんなに大々的に間違えることってあるんだね」
「人間がやることだからね」
などと2人で話した。


「オレンン”」と書かれた氷菓は出荷できない。、
出荷できないが捨てるわけにもいかず、関連会社の社員たちが買うことになった。
友達のおとうさんは、親会社の重役だったので、大量に引き取ったということだった。


「オレンン”」のまま、デザイン事務所から印刷会社、そして食品工場まですり抜けたわけで、いったい何人がこれを見逃したのだろう。


「工場で、これを箱詰めをしていたパートのおばさんが気がついたんだってよ」

「エライ! パートのおばさんエライよ!」

すぐさま走っていって、そのパートのおばさんの手を握りたい気がしました。




沖縄の、そして日本や世界の将来にとって、辺野古に米軍基地を造るのは間違っていると思います。

アメリカと日本の政治家の方たちは、間違っていることに気がつかない。
あるいは利権のために気がつかないふりを通そうとしている。

でも、箱詰めに雇われたパートのおばさんだからこそ、「間違ってます」と言えることもあるでしょう。
権力や利権を持たないパートのおばさんだからこそ、わかることだってあるのです。

ただの一市民が何となく感じた「やだなあ」という思い。
それを、無理に押し殺してはいけないのです。

なぜなら、取り返しのつかない大きな間違いをスルーさせてしまうことになるからです。

ナガサキの日2007年08月09日 23時21分21秒

NHKの「核クライシス」という番組を見ていました。
都市で核爆弾が爆発した時を想定した、米軍の大規模な演習の様子が映りました。

みんな、黄色いつなぎのお洋服に着替えています。
宇宙服みたいに、頭もすっぽりかぶります。
背中に背負ったカバンみたいなものから、じゃばらのチューブが出ています。

この変なお洋服、見たことありますよ。

沖縄国際大学に、米軍ヘリが墜ちたときです。

駆けつけた地元の消防隊が、普通の消防服のまま必死で近づいて、炎上するヘリを消したあとでした。
道路も大学も、なにもかも封鎖して、地元の人を追い出して、黒こげのヘリの調査が始まりました。

その時に米軍の調査隊の方たちがお召しになっていたお洋服と、すごく似てます(もしくは同じ)・・・。





中学生のとき、健康や命にかかわる遊びをしていたクラスメイトが、先生にぶっ飛ばされる事件がありました。

「ほかの先生たちがお前を見捨てようと、俺は絶対に見捨てない」と言っておられました。

先生は、長崎で被爆された経験をお持ちでした。

教科は理科。
科学への興味から、あるいは命への思いから理科を選ばれたのかもしれません。

「いつ原爆症が発症するかわからない」とおっしゃったことがあります。「だからこわくてたまらない」と。

体格も良く、完璧な大人に見えていた先生から「こわい」という言葉を聞く・・・それは大きな衝撃でした。

馬鹿な中学生だったので、ぽかんとするだけだったんですけどね。



8月9日に思うアレコレでした。