おまるとわたし2005年10月24日 23時53分39秒

高校生の時のことである。
友達とのおしゃべりが尽きず、奇妙な遠回りをしながら駅に向かっていた。
友達も私も、初めて歩く道だった。

小さなガード下を抜けようとしたとき、私たちはあっけにとられて立ち止まった。
そして一瞬の沈黙の後、私たちは身をよじって笑い出し、笑いすぎて涙が出るし、どのタイミングで呼吸したらいいかわからずに呼吸困難になるし、おなかは痛いし、それはそれは大騒ぎになった。

私たちが見たものは、「おまる」。

ガード下の壁面に、ありとあらゆるおまるの絵が、ペンキで描かれていたのである。

おまる製造販売会社の名前と電話番号も明記されていたので、いたずら書きではなく、正真正銘の広告スペースだったのだろう。

今の私なら、おまるごときでそこまでは笑えない(と思う)が、その時はさすがに、箸が転んでも笑ってしまうお年頃のふたりだったわけだ。

笑いの発作がようやく収まり、さらに駅に向かって歩きながら、「そういえば、何でおまるはおまるって言うんだろう」「子供がおまるで排泄できたら、『よくできました。マル』って言うからかな」などと話したものだ。

それから月日は流れて、私は突然「おまる」の意味について知ることになった。

沖縄では、ウンコは「する」のではなくて「まる」ものだと聞いた瞬間、長年の疑問が解けたのだ。

古語辞典によると、「まる(放る)」は、古事記にも出てくる言葉だそうだ。
古事記の時代からの言葉が、スワンの形の「おまる」となって残っているのも感動するが、きちんと現役の言葉として使っている沖縄にも無条件で感動しちゃうのである。

(沖縄だけでなく、岩手とか長崎でもウンコを「まる」地域があるそうですよ)