辺野古沿岸埋立に反対します2005年10月28日 02時07分06秒

私がウルトラ団地に引っ越してきたのは、昭和の終わり頃だった。

ある朝、「秋になったなあ・・」と、眼下に広がる干潟を見たとき、思わず「うわっ!」と声を上げた。

カモ、シギ、チドリ、サギ・・・、大小さまざまな渡り鳥が干潟を埋め尽くしていたのだ。

鳥たちは、それぞれの種ごとに群れを作っていたが、全員がきちんと風に対する方向を向いて羽を休めていた。

一晩でさらに南に飛び立つのか、毎日、鳥たちは違う顔ぶれで干潟を埋めていた。
キョウジョシギ、セイタカシギ、ソリハシシギ、コチドリ、オナガガモ、コガモ、カルガモ・・・。
双眼鏡を買い、飽かず眺めた。

渡り鳥の楽園だった干潟だが、1993年と1994年に相次いで橋がかかり、その姿を急激に変えていく。

橋脚によって潮の流れが変わったからだろう、
干潟の面積はみるみる減っていった。
橋のない頃、「育つのが遅い木だなあ」と思っていたマングローブが、あっという間に生い茂って干潟を覆った。

あんなにたくさんいた渡り鳥は、もうほとんど来ない。
橋をかけるだけだから、鳥には影響がない、と言って着工したのに。
環境に十分配慮するから、干潟はそのままだ、と言っていたのに、でたらめだったんだなあ、と胸をかきむしりたくなる。

でもこれだけは確かだ。
環境をぶち壊し、鳥たちの寝床を奪って、橋を2本通したおかげで私たちの生活はぐっと楽になった。
通勤に、通学に、通院に、鳥たちに申しわけないと思いながら、橋を渡る。
毎日どれだけの人が橋を使うのか、朝も夜も絶えることなく車や人が通っている。


辺野古の海を埋立した場合、いったいどれだけ環境を壊してしまうことになるのか、想像を絶する。
環境に配慮するなんて美しい言葉は、すべてウソである。

そしてその工事は、誰かの生活を楽にすることがひとつでもあるのだろうか。