あの神社のことなど(後)2006年10月17日 23時42分32秒

ウルトラ団地の役員をやった時期があり、団地内でお葬式があるとお悔やみに行く役目だった。
どのご遺族も、「最初に病院に行ったのが○月で、入院したのが○日で・・・」とその日までの経緯をこと細かくお話になる。
来る人ごとに繰り返し話すことで、少しずつ納得していくのだろう。

「病院に召集されて玉砕しましたあ」と一言で説明が終わるご遺族はいないのである。

なぜなら、亡くなったのは生身の人だから。

希望やあこがれを持ち、がっかりし、怒ったり泣いたりテレビを見てげらげら笑ったりする生身の人だから。
この世でただ一人の人だからである。

どんな人も一律に、まるで顔も身体もないように、今までの人生さえなかったように「玉砕」とか「散華」という言葉ですませようとするのが戦争だ。
痛かったとか、つらかったことを隠すために、美しい言葉で覆っているのだ。

先日見たドキュメンタリー「硫黄島」でも、生き残った元兵士が「あそこで何があったかご遺族にはとても言えない」と言っておられた。
お年を召したご両親に、むごい事実を話したくないのは私だって理解できる。
でも、同じ遺族でも、子供たち、これから戦争に行かされそうな孫や曾孫たちは知らなくてはいけないと思う。

玉のように砕けられない、華のように散れないのが普通なのだ。
戦争で死ぬことは、楽じゃない。

手当もされないままに放置され、最後に与えられたのが青酸カリ入りのミルクだったこと。
まだ生きているのに、死体を投げ込む穴に投げ入れられたこと。
人間魚雷で発射されて、すぐに機械がこわれて、ただ窒息を待つだけだったこと。
毎日毎日上官に苛められてついに自分で死んじゃったこと。
投降しようとしたら、味方に撃たれてしまったこと。
手榴弾のピンを抜くときに、「東条うらむぞ!」と叫んだこと。

それがみんな、あの神社に「英霊」として祀られているのだ。


もう一つ、知らなくてはいけない。

敵の兵士を殺したこと。
敵だから、あるいはじゃまだから、赤ちゃんを、子供を、おかあさんやお年寄りを殺したこと。
弱い人から食べ物を奪ったこと。
人を、見捨てたこと。

そんな人たちも、あの神社の「英霊」だったりする。


そして、戦争に至る道を作った人たちもそこにいる。
みんな「英霊」という名前で。


あの神社に行ったことのない人は、「おっきな神社」ぐらいにしか思っていないかもしれない。
だけど、行ってみた私の印象では、あの神社は戦争賛美の一大テーマパークだ。
そのテーマパークに、総理大臣が参拝することの意味は、とてもとても重い。




そんな話を友達にすると、「私も行ってみたい。議員の参拝なんかダメってみんなに言いたい。一度行ったら説得力が違うと思うんだ」と言う。「ばるタン、一緒に行ってね」。

ええ~っ? 
行きたいの~~?
東京ディズニーランドにも行ったことのないあんたとワタシが、わざわざ飛行機に乗ってあの神社に行くってか?
「じゃ、ついでにディズニーランドは?」
「別に行きたくない」
「どうせだからお台場は?」
「興味ない」
「神社だけ?」
「うん、神社だけでいい」
うーむむむ。そういうあんたも問題ありかも。