県民大会に行きました2007年09月30日 15時02分25秒

県民大会が無事終わって見上げた空

県民大会が終わり、後かたづけをして帰るところです。
夕空に、ナンヨウスギのシルエットがきれいです。
忙しかったので、写真を撮る余裕はありませんでした。




県民大会に行って来ました。
私の人生で一番、たくさんの人を見た日になりました。

普通、人がいっぱいいるとあまりうれしくない。
お目当てのお店の前に、人が並んでいるともうげっそり。

それなのに、人がいればいるほどうれしい県民大会なのでした。



私は、辺野古・高江に行きましょう、のチラシを配るので、会場のハズレにいました。
舞台の様子が全然わからなかったので、チラシ配りをほったらかして見に行きました。


広場は、座っている人たちでいっぱい。
広場の周りをぐるりと一周している通路は行き交う人でいっぱい。
さらに外側の芝生地帯にも人々があふれていました。


それだけたくさんの人々が集まっていて、雰囲気はとても静かで穏やかでした。
通路では誰もが急ぐことなく譲りあっていました。


教科書検定には怒りもあります。
でもそれ以上に、やりきれない悲しさが会場をおおっているようでした。


先祖を祀り、お年寄りを敬い、家族、親戚のつながりが強い沖縄で、どうして「強制集団死」が起こってしまったのか。
そこに至るまでに何があったのか。

その事実が重いです。


「日本軍の誰々のせいでこうなった」と言う体験者の方は誰もいません。

「教育がどんなに大切か」ということは、口々に語られます。

だからこそ、教科書検定を撤回してもらいたい。
全国の子供たちの未来のために、撤回してもらいたいのです。

県民大会ゼッケンプロジェクト2007年09月30日 16時07分21秒

県民大会も無事に終わり、パンもなんとか無事に焼けました。

県民大会からお腹空かせて帰ってきたのですが、食べる物がない。

今年のお正月用だったお餅を焼いて夕飯です。
個別パックですので、全然OK。

次の朝のパンもなかったので、粉をこねました。

「県民大会のニュース、やらないかな~」と思ってテレビをつけて転がっていたら、いつの間にか眠っていた・・・。

普段なら1時間くらいの一次発酵ですが、今回はたっぷり3時間。
柔らかい中にも張りのあるパン生地が理想なのに、ふにゃふにゃのぺちゃんこになっていました。

でも、大丈夫、ちゃんと焼けてます。

県民大会の会場でもらった沖縄タイムスの号外に乗せてみました。





ゼッケンプロジェクトのあらましです。


「すごくかわいい!」
「今は、『ギザかわゆす』とか言うんだよ~」
「えっ、もう一度言ってみて」
「覚えなくていいよ。やっと覚えて使ったときは死語になってるから」


などとみんなで話しながら作ったゼッケン100枚。


ゼッケンをつけてあげるかわりに、辺野古の座り込みテントに100円とか10円とか寄付をもらおうという深い考えで、寄付金入れ箱も完成して、準備は抜かりありません。

抜かりない、はずだったんですがね・・・。


私が、「ゼッケンありますよ~」と声をかけると、なぜかみんな逃げていくのですよ。

お母さんが子供に、「ゼッケンもらおうよ」と言ってくれても、子供は「いや~!」と泣かんばかり。
そ、そこまでいやですか。


そのうち、一人一人に声をかけるのが不可能になるくらいに、人の波が押し寄せるようになりました。

どんどん会場入りする人たちに、一枚でも多く辺野古と高江のチラシを配るチャンスです。

辺野古と高江のことを身近に感じてもらいたい・・・でも、配る人が少なすぎるのか、やってくる人が多すぎるのか、チラシ配りでパニック状態。


とてもゼッケンどころではなくなってしまいました。


ああ、私は雑巾を100枚お持ち帰りですよ・・・と思っているところに、友達一家が手伝いにやってきました。

さっそく一人はガムテ切り係。
一人は歩いてくる人の胸にパッとゼッケンを当てて「あらお似合いですよ」とカリスマ店員係。
坊やはゼッケンをつけたモデルです。


ゼッケンは、会場の1100分の1の割合で散っていき、あっという間に在庫ゼロ。


いやー、よかったです。

問題は、ゼッケンと寄付金箱の場所が離れてしまって、ゼッケン=寄付金という結びつきがなくなってしまったことかなー。


ま、私の考えることですから、そんなもんです。