2ヶ月でOK?2008年04月01日 12時38分36秒

麹、水分多めの味噌

1月25日に仕込んだ味噌。
こねている途中で県庁にアセスの申し入れをしに行った(その日の記事にリンク)ので、水分を2度入れてしまったのかも。
すごく柔らかくて、重しを軽くしているのですが、それでも沈んでしまいます。





ミソ友が、味噌を見に来ました。

「水分が多い味噌ってどんなのか見たい」

へいへい、これですよ。

「わーっ! びちょびちょだ! いくらなんでもここまで水分が多いとは想像してなかった!!!!」

感動してくださってありがとう。
水分が多いから、おつゆに入れると溶けやすくて便利よ。

「もう食べてるんだよね」

ちょっとなめて味噌。

「あっおいしい! もう完璧に味噌だ! うわー、これはおいしいよ。去年のはただの味噌だったけど、これは前のよりずっとおいしいんじゃない?」

去年のも喜んで食べてたやん。
私の味噌を食べ尽くしたときに、恩も感動も尽きたのね。

「黒いカビが生えた味噌はどれ?」

それは麦味噌。
今は塩を重しにしているからなのか、カビがあまり出ないみたい。

「あーっこれもおいしい! もう充分食べられるよ。わーいわーい麦味噌だ!」

味噌作り20年の友達は「早くても土用を越さないと食べられない」と言っていたけど、それは関東地方の話であって、沖縄の微生物を甘く見ちゃいけないってことかな。

「そーよそーよ。私たち、2ヶ月あれば手作り味噌を手に入れることができるんじゃない? そういえば、『適正価格で売ってほしい』と言われるから、この際、調理師免許の試験を受けたいって言っていたよね。勉強してる?」

うん・・・。勉強しようと思ってね。
参考書買ってきたのね。
で、内地に行くから大事な参考書を片付けておいたのよね。

その場所が思い出せない。
まだ1ページも読んでいないのに。


ウチの微生物は、私の記憶力を食べて増殖しているような気がします。
だからこんなに味噌の熟成が早いのよ・・・。

ジュゴンハンカチ2008年04月03日 13時02分12秒

染まりました~

ジュゴンハンカチ、たんすにジュゴンが染まりました。
今回は、ゲットウとフクギです。
この勢いで、たんすにジュゴンのタマネギ染めもやっつけようと思ったのでありました。

でも、巾着はたくさん縫ってあるのに、絵付けしてない!
・・・と、その時電話が鳴ったのですよ。

「ジュゴン描きた~い!」

うにゃーーーーー! 
なんというグッドタイミングでしょうか!

こんなこともあるのね~^^

では、巾着を持って、遊びに行ってこようっと^^



ここのところ毎日、フラチなコメントがつくようになりました。
ですので、コメントを承認制にして様子をみます。
ずっと続くようだとイヤだな~。

詰め合わせ2008年04月04日 22時18分43秒

今日の夕刊、今日のハンカチ、今日の味噌

いやー、また優勝してしまいましたよ。てへっ。

今日は夕刊が来るのが遅いな~、と思っていたら、がんばって印刷していたのですね。
ご苦労様です。

ジュゴンハンカチのへのこちゃんバージョンはいかがでしょうか?
昨日の画像では、ちらりとしか見えていなかったので、もう一度登場です。

左下は、味噌詰め合わせでございます。
真っ黒なのが、去年の味噌。
時計回りに、水分たっぷりの米こうじ味噌。
黒いカビが生えていた麦こうじ味噌。水分が少なくてボソボソ。おまけに大豆もちゃんとつぶれていない。でも食べられる。
ミソ友の麦こうじ味噌。適度にやわらかくておいしい。
ミソ友の米こうじ味噌。やわらかさもちょうどいいし色もきれい。

私の味噌がべちゃべちゃとボソボソなのに、ミソ友の味噌は丁寧に仕込んだ様子が感じられてくやしいな。

でも、次の仕込みはいつにしようか、と早くも楽しみな味噌作りです。

新聞記事から2008年04月05日 23時15分07秒

凛々しいぞ。ニャオス姫

4日、5日と、新聞には高校野球の記事がどどどーーーーんと載っています。

監督の出身地が辺野古だそうで、辺野古の交流プラザ(ン億円の補助費で建った建物)で、決勝戦をテレビで応援したとのこと。
さぞ、もりあがったことでしょう。
でも、その前日には、こんな記事があったのでした。
「辺野古の沖縄高専上空で、米軍がヘリコプターのホバーリング訓練を行った」
さぞ、やかましかったことでしょう。

野球の記事の下には過去の事件が載っていました。

4月4日(1994年) 嘉手納基地を離陸したF15戦闘機が嘉手納弾薬庫近くの黙認耕作地に墜落、炎上。
4月5日(1964年) 東京町田市の商店街に嘉手納基地から厚木基地に向かう米海軍の戦闘機が墜落。4人死亡、29人がけが。パイロットは脱出して無事。
4月6日(1994年) 普天間飛行場で、CH46ヘリコプターが墜落。
(沖縄タイムス・「ニュースあんやたん」より)

戦争の年の今日はどんな様子だったのだろうか、とあれこれ考えるのがこの時期です。
今日は、どんよりした天気で湿度が非常に高く、洗濯物を干せば干すほど湿る感じ。
団地のエレベーターホールは結露で水を撒いたように濡れています。
着ている服は湿気で重くなり、肌触りがべたべたしています。

こんな日にも、壕にひそんでいたのか・・・と思うと、どんなに元気な日でも一瞬で気が滅入るではありませんか。
さらに、戦争が終わったあとも、戦闘機や軍用ヘリは墜ちまくりなのでした。



話は戻りますが、昔、沖縄代表は弱かったですよ~。
それが今では完全に強豪県です。
3、40年でこんなに変われるなんて、実に感慨深いです。

高校野球だけでなく、3、40年あれば、変わることができるでしょう。
米軍基地がなくなった辺野古の浜を、端から端まで歩くことだって可能ですとも。
その日のために、今自分ができることをアレコレ考えていきたいです。


写真は、日に日にたくましさを増しているニャオスです。

沖展に行きました2008年04月07日 11時19分59秒

ニャオス喜びのくねくねダンス

昨日は蒸し暑くてよく晴れた日曜日でした。

沖展の最終日だったので、行ってきました。

沖展とは・・・日本に日展があるごとく、沖縄に沖展があるのです。説明終わり。

しかも今年は60回。
この数字に胸が熱くなります。
砲弾の嵐で地形さえ変わってしまうほどの激戦のあと、米軍の管理下に置かれた沖縄の人々が、20万柱の遺骨を少しずつ集めながら、衣食住すべてに不自由しながら、それでもきれいなものが見たかった。
絵や書、織りや染め、焼き物や漆器が見たかったのだと思います。

紅型の筒書き(布地に糊で絵を描く)には、砲弾の先っぽを切って穴を開けて使うなどの工夫をしながら、戦後の沖縄はやってきたのです。

沖展の特徴は、老若男女だけでなく、幼児、赤ちゃんまでが普通に作品を見ているところでしょう。
芸術に興味のある人もない人も、とにかく来ちゃう。
そんなイベントです。
だから、良し悪しが全然わからないワタクシも平気な顔で会場を回ります。


・・・その絵の前は、いつも人だかりが出来ていました。
「へのこ、へのこ」というささやきが交わされていました。

リボンをつけた鉄条網をコラージュした絵でした。
平和を願う寄せ書きを貼りあわせて、ジュゴンの形になっています。

そんなアピールのしかたもあるんだなあ・・・と感動しました。
人を立ち止まらせた大賞を授与したいです。


湿度を保ったまま、気温がぐんぐん上がっていきます。
沖縄っぽい季節がやってきました。
微生物の皆様と共に、季節の変わり目を元気に満喫したいです。