新聞記事から ― 2008年04月05日 23時15分07秒
4日、5日と、新聞には高校野球の記事がどどどーーーーんと載っています。
監督の出身地が辺野古だそうで、辺野古の交流プラザ(ン億円の補助費で建った建物)で、決勝戦をテレビで応援したとのこと。
さぞ、もりあがったことでしょう。
でも、その前日には、こんな記事があったのでした。
「辺野古の沖縄高専上空で、米軍がヘリコプターのホバーリング訓練を行った」
さぞ、やかましかったことでしょう。
野球の記事の下には過去の事件が載っていました。
4月4日(1994年) 嘉手納基地を離陸したF15戦闘機が嘉手納弾薬庫近くの黙認耕作地に墜落、炎上。
4月5日(1964年) 東京町田市の商店街に嘉手納基地から厚木基地に向かう米海軍の戦闘機が墜落。4人死亡、29人がけが。パイロットは脱出して無事。
4月6日(1994年) 普天間飛行場で、CH46ヘリコプターが墜落。
(沖縄タイムス・「ニュースあんやたん」より)
戦争の年の今日はどんな様子だったのだろうか、とあれこれ考えるのがこの時期です。
今日は、どんよりした天気で湿度が非常に高く、洗濯物を干せば干すほど湿る感じ。
団地のエレベーターホールは結露で水を撒いたように濡れています。
着ている服は湿気で重くなり、肌触りがべたべたしています。
こんな日にも、壕にひそんでいたのか・・・と思うと、どんなに元気な日でも一瞬で気が滅入るではありませんか。
さらに、戦争が終わったあとも、戦闘機や軍用ヘリは墜ちまくりなのでした。
話は戻りますが、昔、沖縄代表は弱かったですよ~。
それが今では完全に強豪県です。
3、40年でこんなに変われるなんて、実に感慨深いです。
高校野球だけでなく、3、40年あれば、変わることができるでしょう。
米軍基地がなくなった辺野古の浜を、端から端まで歩くことだって可能ですとも。
その日のために、今自分ができることをアレコレ考えていきたいです。
写真は、日に日にたくましさを増しているニャオスです。
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