まろやかvsシャープ2008年08月04日 23時58分19秒

このところ、自分で焼いたパンが、うすぼんやりした感じでおいしくない。
ひとあじ足りません。(沖縄語で言うところの『あふぁい』)
いったい、どうしたものか・・・と思っておりました。


さて、平和通りに「塩屋(まーすやー)」というおしゃれなお店ができましたよ。
沖縄のあちこちの塩や、世界のあちこちの塩を売っています。
試食、というか・・・試ナメができます。

試ナメをさせてもらいながら、店員さんとお話ししていて、非常に納得したことがありました。

塩は、作る場所や製法によっていろいろな味になる。(はいはい、そうでしょう)
まろやかなものや、シャープなものがある。(そういう分類があるのね)
まろやかな塩を使った場合、普段通りの塩加減ではもの足りないので、結局たくさん入れてしまうことがある。(おおっ、そうだったのか!)

「きりっと塩味が効いた方がいい、という人には、まろやかでなくシャープな塩がいいでしょう。まろやかだと使いすぎて塩分取りすぎにもなります。逆にやさしい味を好む人には、シャープな塩よりまろやかな塩をお薦めします」

ちなみに、超有名な「栗国の塩」はまろやか系だそうです。


私が使っていたのはシャープ系の塩でしたが、パンには砂糖も入ります。
少し前に、砂糖を「三温糖」から「きび砂糖」というのに替えたのです。
なんとなく雰囲気で体にいいかな~、という理由です。

きび砂糖の袋にもこう書いてあります。
「まろやかな甘味」って。

納得でした。
パンの味がうすぼんやりした理由は砂糖にあったのです。
うちに帰ってから、それまでの2倍ぐらいきび砂糖をぶち込んでパンを焼いてみましたところ、おいしく焼けました。

体にいいかと思ったのに、結局、砂糖たっぷり路線になってしまいます。
三温糖に戻るべき?
それとも、2倍量のきび砂糖?
悩むところです。



さてさて、塩屋では「塩ソフトクリーム」というのも売っていて、食べてみたら非常においしかったのですが、お値段が非常に高かった・・・。
350円です。
高すぎる。。。。
でもおいしい。。。。
でも高い。。。。

結論「また食べたいけど、自分のお金では食べたくない」(何が言いたいのか・・・)

奇跡を埋めないで2008年08月06日 23時58分23秒

元・干潟

緑の部分は、マングローブの林です。(写真はクリックで拡大します)

うわあ、すごい、さすが沖縄!と感心するのはちょっと待ってくださいね。
このマングローブは、たった15年でこの林に成長したのです。

この場所はかつて、すべて干潟でした。
季節になれば、渡り鳥が干潟を埋め尽くすほど飛来していました。
干潟のはじっこに、ボランティアグループがマングローブを植えていましたが、うまく生育しませんでした。
「マングローブって、成長が遅いのね」と私は思っていました。

15年前、橋がかかってから、潮の流れが変化したのでしょう。
橋脚がじゃまをして、潮が行きわたらない場所が出てきたのだと思います。
朝夕、新しい潮が満ちては引いていく、絶妙なバランスの元に、干潟は存在できるのです。
橋脚1本でも、そのバランスは壊れてしまうのです。

見渡すばかりの干潟だったはずなのに、ふと気がつくと、渡り鳥はほとんど来なくなりました。
そして、マングローブがみるみる増えていきました。

この変化を、「ボランティアグループが、マングローブを植えたからだ」と言う人がいますが、それは大きな間違いです。あるいは、悪質かつ意図的な責任転嫁です。
植林をした場所には、どういうわけか、今でもマングローブが生えていません。
私の住んでいるところからは、それがよく見えるのです。

干潟を人の手で作ることはできません。
橋を一つ架けても、無くなってしまう干潟。
そんな奇跡のような場所を埋め立てる工事に耐えかねて、沖縄市泡瀬では座り込みが始まっています。


今日はヒロシマに原爆が落とされた日。
広島市長の平和宣言、「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という言葉は、なんと正しく美しいことでしょうか。

辺野古、高江、泡瀬・・・中止されることだけに意味のある工事が、沖縄にはたくさんあるのです。

関連記事「リーフチェッカーさめさんのブログ」

webで署名できます2008年08月09日 23時47分08秒

泡瀬干潟と浅海の埋め立て中止を求める署名


webで署名できます。
全国の皆様、どうぞよろしくお願いします。



東京近郊の皆様には、美しい写真展のお知らせです。

救え・沖縄泡瀬干潟とサンゴ礁の海写真展

日時:2008年8月8日(金)~20日(水)
平日 10:00~19:30 土曜 10:00~17:00
休館 日曜日、月曜日
会場: 地球環境パートナーシッププラザ(03-3407-8107)
150ー0001 渋谷区神宮前5-53-70 国連大学ビル1F
地下鉄銀座線、半蔵門線、千代田線表参道駅B2出口より徒歩5分
(東京の後は、名古屋の藤前干潟の稲永ビジターセンターで開催予定です)



さらに東中野近郊(?)の皆様には、映画のお知らせです。

マリーンズ ゴーホーム2008
アメリカばんざい

ポレポレ東中野(リンクしました)で上映中!

「アメリカばんざい」をご覧になる人は、エンドロールもしっかり見てきてくださいな。
そして『手織舎すずめ』の名前を探してくださいませ~。

沖縄かがやけ2008年08月13日 15時44分18秒

うちの子になって一年たちましたよ。ニャオス姫。

エイッ! 猫パンチの訓練に余念がないニャオス。



今日は、旧暦8月13日(おっと、新暦も8月13日でした!)お盆の入り(ウンケー)です。

ニャオスがうちにやってきた記念日でもあります。
新暦だと忘れてしまうので、ウンケー猫ということで、ヨロシク。
ま、忘れてもどうでもいいのですが。ニャオスも気にしていないし。(決めつけ)



そして、この日(新暦8月13日)は、米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落、炎上した日です。
あの日もオリンピックの真っ最中。
もう、4年経つのですね。


家族やお友達と楽しくそぞろ歩いたり、ショッピングをしたりしていたところに、突然、車が暴走してきたのでみんな命からがら必死に逃げまどう。
暴走車は、建物にドカンとぶつかって爆発して燃え、その衝撃で部品が四方に飛び散ってあちこちで物を壊す。
ひどい、ひどすぎる~。
この惨状を、エライ人に見てもらいたい。
こんなに壊されちゃったのよ。
わたしたち、死ぬとこだったのよ。
こわかったんだから。

何ヶ月か経ってからやってきたエライ人は「誰も死ななかったのは、運転が上手だったからだね」と言って去る。
あ、あれ????
暴走車を褒めるだけってか????


と、軽く書いてみましたが、今でも町村官房長官(当時・外務大臣)の顔を見ると、ムキーーーーーっとなります。
バイト先のレジに並んでいたら、後まわしにしてやる~~~(せこい)。



昨日の新聞報道でありましたが、民間地の鉄塔を撤去するように、沖縄防衛局が要請したとのことです。理由は、普天間基地から発着する米軍機のじゃまになるから。

米兵が起こした事件については、法務省が裁判権放棄を指示したり、さらにその資料を閲覧禁止にしたりと、日本政府は、沖縄に暮らしている人(それから日本中の人たち)のことより、米国政府にすり寄ることに余念がありません。

米軍と日本政府の食い物になって、ボロボロにされていく沖縄のことを考えていると、胸が苦しくなってたまらなくなります。
心がどこか暗いところに落ちていくようです。

でも、そんなとき、必ず私の中に、響いてくる歌がある。
沖縄を代表する唄者、大工哲弘さんの歌です。

復帰前によく歌われていた「沖縄を返せ」の曲に、今にピッタリの詞を乗せています。
「沖縄を返せ」の代わりに、この言葉です。

♪沖縄かがやけ 沖縄かがやけ♪

「沖縄かがやけ」は、祈りの歌、願いの歌、私を励ましてくれる歌です。 

B円2008年08月16日 16時43分16秒

奇妙なメールが友達から来ました。

「でいご印刷(?)の次だ」

いったい何の暗号???
意味を尋ねるメールをおそるおそる返信する。が、「メールを受け取れない状態です」とのこと。
謎はますます深まる。


数時間経ってから、やっと解説メールが来ました。
「アメリカばんざいのエンドロール、手織舎すずめの名前は、でいご印刷の次に出てきたよ」
さよか。
私も現物(?)を早く見たいです。
沖縄では桜坂劇場で上映予定。あと数ヶ月待ちましょう。

友達は、ポレポレ東中野で、「アメリカばんざい」と「マリーンズ ゴーホーム2008」の二本を見たそうで、謎のメールを送りつけた後、携帯の電源を切っていたのでしょう。
映画館や劇場では、マナーではなく電源オフに限りますね。




昨日はお盆のウークイ(送り)でした。
うちにも小さなお仏壇があるので、親戚が集まりました。
内訳は、おばあ2人を筆頭に3世代、総勢6人です。
犬は吠え、猫はベランダに避難です。

いったい何の話からその話題に流れたのか忘れてしまいましたが、とにかくB円(びーえん:一時期、沖縄で使われていた軍票)の話になったのです。

実は私は、そういう話が大好物であります。
私は、B円の記憶があるかないか微妙な年代。
おっと、その前に、私はナイチャー(内地の人)なので、B円の記憶はカケラもありません。
だけど、平気で知ったかぶりをします。

「B円は、四角いんですよねー」
「なんで、ばるタンが知ってるの。あんた、いつのヒト?」

「友達に聞いたんですよ。友達は、毎日B円をもらってパンを買っていたそうです」
「四角いのは1円よ。100円は今と同じで長四角よ」

ははあ、友達が持たされていたお金は1円だったのね。子供だもんね。

「私と同世代ぐらいの友達で、B円の記憶があるのは、彼女一人だけなんです」
「そうだはずよ。私が川平病院に出産で入院したときはB円使っていたんだけど、退院のときはドルになっていたよ。だからB円は昭和33年までよ」

どっひゃー!
おばあの話は歴史がリアルです!

じゃあ、入院したときは車が右側通行で、退院したときは左側通行で、退院したとたんに車にぶつかってすぐまた入院したりしてね・・・と、げらげら笑う不謹慎な親戚一同でありました。


今、手持ちの資料を見ましたところ、B円(B型軍票)は、1948年から1958年まで。
その後はドルで、ドル時代は1958年から1972年です。



軍備を必要と考える人は、「日本が占領されたらどうする?」とおっしゃったりします。
でも、沖縄は占領されてもみんなで歌って踊って生きてきたではありませんか。
お金が変わろうと、道路が変わろうと何とかなりますよ。
殺したり、殺されたりするぐらいなら、占領されることぐらいどうってことないです。