山学校2009年07月13日 23時03分49秒

沖縄で「山学校(やまがっこう)」と言えば、林間学校みたいなもの、ではなくて、「家は出たものの学校にはたどり着かなかった」ということです。有り体に言えばサボりです。
別に山に登らなくてもOK。

がらモンは、那覇市の中心で育っていますが、やっぱり山学校と言っていたそうです。

「どこで山学校していたの?」
「山形屋の裏」

山形屋は国際通りに面したデパートでした。今は無くなってしまいましたが。
国際通りでも山学校。畑に行っても山学校、海に行っても山学校です。
つまり、学校以外の場所のことを「山」というらしい。

山でもないのに、学校でもないのに、「山学校」。
なかなか見事な表現で、私のお気に入りの言葉です。


でも、この表現が、こんなに悲しく使われることもあったなんて。


今年の6月30日は、沖縄・うるま市(当時石川市)に米軍のジェット戦闘機が墜落して50年経った日でした。

「宮森小学校ジェット機墜落」という名称で知っていましたので、小学校に墜ちたんだ、と思っていましたが、正確には違うのでした。

当時の写真を見ると、住宅地に墜ちた戦闘機が家々をなぎ倒しつつ小学校に突っ込んだということがよくわかります。死者17名(うち小学生11名)、重軽傷者は200人を超えています。
パイロットはパラシュートで脱出していて、無人の戦闘機でした。

悲しみが深いために当時のことを話すことができなかった関係者の方たちが、50年をきっかけにお話をしてくださることも増えました。
自分が話さなければ、死んだあの子の存在やあの事件が忘れ去られてしまう、という危機感が、つらい体験を語らせているのです。

当時臨時の教員だった方のお話です。
「遺体は黒こげになっていて、誰だかわからないのです。ご両親が遺体を見て『うちの子ではありません。うちの子は山(=学校以外の場所)に逃げたはずだから、すぐ帰ってきます』と言っておられた。それがご自分の子供だとわかって、抱きしめて泣き崩れていた姿が忘れられません」

うちの子は山に逃げた、というのはご両親の心からの願いです。
その願いのために、自分の子供をすぐに抱きしめてあげなかったことが、つらさをさらに大きくしているのではないでしょうか。

その方の話は続きました。
「沖縄に米軍の基地があるから、日本が守られていると言われるのですが・・・守られている実感が・・・ないのです」

コメント

_ よなっち ― 2009年07月15日 16時07分39秒

お久しぶりです。

ぐーたらしている割には、ひさしぶりにパソコンを開きました。

ピグモンさんは、いつでも変わらないスタイルでとっても好きです。

沖縄の歴史のことは、折にふれて娘たちに話してはいるのですが。

パパから山学校の話は聞いたことがなかったので、勉強になりました。

山学校には毎日通っていた本人からは、娘に言えない話でしょうかね。

そんな両親から生まれたとは思えない娘二人、学校から皆勤賞の賞状をもらってきて・・・・・、変なやつ????

宮森小学校の話は、初めて聞きました。

勉強になりました。ありがとう☆

_ BIN★ ― 2009年07月15日 17時07分51秒

「山に逃げる」っていうことなんでしょうか?「山学校」て。
里でなんかあれば、山に逃げて、山狩り・・・。
宮ノ森小学校の事件は、いろんな機会に知りました。
「沖縄ボーイ」という映画を、偶然、TVで見ました。
そのときに、ふいに登場したのが、この事件でした。
黒こげになったむごい光景は登場しませんでしたが、
子ども達がのたうちまわる姿、子ども達を必死に探す
親たちの姿、そして、たちはだかる米軍兵士。
それに抗議する人たち・・・・。

_ PFC ― 2009年07月15日 19時41分08秒

1977年に横浜でも同じような事故がありました。
多分ぱるたんさんもご存知でしょう・・・。

アメリカが沖縄や本土を米軍基地として利用している間は、どこの国も日本を攻撃できないのでしょう。

守られているというより利用されているといった方が敗戦国の立場が明らかになるような気がします。

原爆実験やら核燃料のゴミ捨て場やらいつまでもいろんなことに利用され続けるニッポンです。

※横浜の事故をご存知ない方のために説明文をリンクしています。

_ みんと ― 2009年07月17日 21時51分14秒

宮森小学校の事件と、横浜の事件は、ぜったい許せないよ。
怒りがこみあげてきます。
九州大(だったよね?)に突っ込んで、しばらくサラシものになってたのは、ワハハだけど。

_ ばるタン ― 2009年10月04日 21時12分23秒

◆よなっちさん
お返事遅れて申し訳ありません。
よなっちさんの上のお嬢さんがまだ赤ちゃんだった時、数時間うちでお預かりしたことがありました。
がらモンが、「おかあさんと同じ顔だ」と感心していたことを思い出します。
そのときエンエン泣いていた赤ちゃんが皆勤賞なんですね。感無量です。


◆BIN★さん
「沖縄ボーイ」という映画のことは知りませんでした。
今年は、戦闘機墜落から50年。今までは悲しすぎて触れられたくなかった遺族のみなさんが、資料館を作ろうとされています。
山学校は、別に逃げているわけでもなくて、さぼっちゃったわ~という感じの気楽な言葉なんですよ。


◆PFCさん
横浜での事故の時は、同じ区内の会社にいました。
事務所に駆け込んできて「墜ちた!」と告げた人の顔を今も思い出します。

1964年に原町田商店街にジェット機が墜ちたのは、最近になってやっと知ったのです。4人も亡くなっているのに、あまり報道されなかったような気がしています。オリンピックがらみか?


◆みんとさん
はっぴいえんどの「時々戦闘機が墜ちてくる街に今日は朝から雨がしとしと・・・」という歌詞、沖縄ではリアルな歌なのよ。だけど、日本中いたるところで可能性はあるわけよね。

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