石垣島の大津波 ― 2011年04月12日 23時11分30秒
大震災の少し前のことであります。
三線師匠と弟子(私)が、お稽古の合間に雑談をしておりました。
団地の三線サークルは、黎明期には10名以上参加していましたが、数年で師匠と私のマンツーマンお稽古になって現在に至っています。
師匠はとてもシャイで、お酒が入らないとお言葉がなく目も合わさないタイプ。
私は根本的に人見知り。
だから、お稽古の2時間の間で、二人が交わす言葉は「こんばんは」「こんばんは」「足痛いな」「痛いです」「じゃ、また来週な」「ありがとうございました」。
これだけだったのですよ。
ところが、シャイと人見知りの二人ですが、去年あたりから雑談ができるようになりました。
さすが15年の歳月は偉いわ~。
ま、それはいいとして。
師匠は石垣島出身なので、私はこんなことを聞いたのです。
「沖縄にも津波は来ますかね? 津波でうち上がった岩があるそうですが」
「ああ、明和の大津波の岩ね。あれはほんとうだはずよ。海からずいぶん離れたところにあるけど、貝がらやサンゴがついているさ」
師匠は続けた。
「この前、八重山(石垣島のこと)に帰ったとき見たら、そこに道を通すって岩を削ってすごく小さくしていたさ。道がそんなに大事かね。ちょっと避けたらいいだけさ」
「えええ~! ひどい! 世界遺産じゃなかったんですか!」
というような会話があったのでした。
明和の大津波は1771年。
石垣島の人口が半分になったほどの甚大な被害だったそうです。
今度の大震災では、沖縄にも津波警報が出ましたが、津波を見ようと海岸に行った人も多かったのです。ホント、そういうのやめてよね。
日曜日、がらモンは親戚の披露宴に行ってきました。
新郎が働いている映像会社は、映像の学校も持っていて寮もある。
その寮を、被災した人に提供しているのだそうです。
寮の提供のみならず、
「披露宴に招待されていたよ」とのこと。
実に沖縄っぽいエピソードです。
三線師匠と弟子(私)が、お稽古の合間に雑談をしておりました。
団地の三線サークルは、黎明期には10名以上参加していましたが、数年で師匠と私のマンツーマンお稽古になって現在に至っています。
師匠はとてもシャイで、お酒が入らないとお言葉がなく目も合わさないタイプ。
私は根本的に人見知り。
だから、お稽古の2時間の間で、二人が交わす言葉は「こんばんは」「こんばんは」「足痛いな」「痛いです」「じゃ、また来週な」「ありがとうございました」。
これだけだったのですよ。
ところが、シャイと人見知りの二人ですが、去年あたりから雑談ができるようになりました。
さすが15年の歳月は偉いわ~。
ま、それはいいとして。
師匠は石垣島出身なので、私はこんなことを聞いたのです。
「沖縄にも津波は来ますかね? 津波でうち上がった岩があるそうですが」
「ああ、明和の大津波の岩ね。あれはほんとうだはずよ。海からずいぶん離れたところにあるけど、貝がらやサンゴがついているさ」
師匠は続けた。
「この前、八重山(石垣島のこと)に帰ったとき見たら、そこに道を通すって岩を削ってすごく小さくしていたさ。道がそんなに大事かね。ちょっと避けたらいいだけさ」
「えええ~! ひどい! 世界遺産じゃなかったんですか!」
というような会話があったのでした。
明和の大津波は1771年。
石垣島の人口が半分になったほどの甚大な被害だったそうです。
今度の大震災では、沖縄にも津波警報が出ましたが、津波を見ようと海岸に行った人も多かったのです。ホント、そういうのやめてよね。
日曜日、がらモンは親戚の披露宴に行ってきました。
新郎が働いている映像会社は、映像の学校も持っていて寮もある。
その寮を、被災した人に提供しているのだそうです。
寮の提供のみならず、
「披露宴に招待されていたよ」とのこと。
実に沖縄っぽいエピソードです。
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