すごく困るぞ2011年04月06日 23時34分30秒

こんなイベントは実に困る。
どこの会場に行けばいいの。


私のごひいきが大勢出るわ。

あっちこっちの会場をめぐって、お目当ての歌手を見ようとしても、タイミングが合わなくて、見逃す可能性が高いと思う。
どこか一つの会場に絞るべきか。

4月10日(日曜日)はほかにもイベントがあるはず。
だって、東京では、反原発のデモが二つあるし、沖縄でもきっと連帯集会か連帯デモがあると思う。

ああ、忙しいわ。
味噌も仕込まなくてはいけないし。

麹が届いたの・・・
届いた麹は、原発の記事で包まれていました。
しかたないわ。私もがらモンのお弁当を放射能の記事で包むから。
早く、原発以外の記事でお弁当を包めるようになりますように!

原発どうするべき?2011年04月10日 00時21分38秒

今日は統一地方選の日なのね。
私のところでは、選挙がないので、ピンとこなかったわ。
選挙のある地域の方、候補者が原発についてどう考えているのか、こちらからわかりますよ。


買い占めじゃない備蓄2011年04月10日 22時43分08秒

2週間分の食糧備蓄って、どうやればいいのかな? 
常々考えていたのだが、スーパーと隣接している団地に住んでいるので、切実感がなかった。
「お米があと1合を切った。じゃ、買いに行くか」
それで充分だったからだ。

沖縄で想像できる最大の自然災害は台風だったから、台風さえ過ぎればスーパーが開くわけで、スーパーが休むのは1日か半日か数時間だ。

しかし、津波が来てスーパーが水没したら、頼りになるのは備蓄しかないだろう。
救援物資もなかなか来ないかもしれないし。

そこで思いついた備蓄のやり方がこれだ。

5キロのお米を米びつに入れたら、もう5キロ買う。
お醤油のボトルを開けたら、もう1本買う。
食用油のボトルを開けたら、もう1本買う。

手持ちの分が終わったら、備蓄分を使い、次のを買う。

そうしたら何年も備蓄していて賞味期限切れになることが防げるというものだ。
なんという素晴らしいアイデア!

だけど普通のおうちでは、普段から買い置きがあるのかもしれませんわね。


というわけで、さっそく買いに行く。
福島産こしひかり5キロをゲット。
友達がやっている乾物屋さんで昆布をゲット。
「わかめも買おうかな~、あっ!三陸産わかめだって!」
「貴重なわかめになっちゃいました。三陸産はすごくしっかりしたわかめなんですよ」
「買おうかな・・・いや、私なんかが買ってはいけないね。1袋しかないし。復活したら買おう」
鳴門産のを買いました。

2週間分の食糧備蓄を、政府のいうとおりに準備する気はさらさらなかったのです。
でも、備蓄したお米を、被災したみんなで炊いて食べる可能性は常にあります。

あっ、あとはお水か・・・。
お水は普段買ってないから、どう備蓄したらいいものか・・・。
お米があっても、お水がなかったら炊けないし・・・。
結局、中途半端な備蓄ってことです。

散らかった部屋に散らかる犬
散らかった部屋に散らかって寝るカニゴン

連絡がとれない2011年04月11日 23時07分04秒

福島に住んでいる友達と、連絡がとれない。
高校を出て、入社した職場の先輩だ。
色白で、落ち着いていて、大人の女性に見えてあこがれた。
結婚した彼が福島の人で、当時の言葉で寿退社。それからずっと年賀状のやりとりが続いている。

「まだ働いているよ」
「犬を飼ったよ」
いつもそんな一言が書かれていた。
「リストラされちゃった。また仕事をさがしてます」
それが今年の年賀状だった。

30年以上年賀状を書いてきた(今でも私は住所は手書き)ので、地理はわからないが町名は覚えていた。
ニュースで福島が出るたびに、「町名が違うから、彼女のところではないな。彼女のところは被害が少なかったのだろう」と思っていた。

ふと、気がついた。
「町村合併で、町名が変わっていたはずだ!」と。
年賀状を見たら、数年前から住所の表記が変わっていた。

「南相馬市」

ぎゃっ!と飛び上がって、地図を調べる。
彼女のおうちは、津波被害のボーダーライン。
加えて福島原発20キロのボーダーラインだった。

電話をかけてみた。
呼び出し音が鳴るが、誰も出ない。

どこに避難したんだろう・・・。
けがをしたり家族をなくしたりしていないだろうか・・・。
津波から逃げたのなら、友達の住所禄なんか持っているはずもない。
彼女から連絡がくることは望めないし、私が手紙を出しても届かないだろう。

もう年賀状のやりとりが途絶えるのかな。
そして、二度と連絡がとれないのかな。

なんだかとても、よるべない気持ちだ。

石垣島の大津波2011年04月12日 23時11分30秒

大震災の少し前のことであります。
三線師匠と弟子(私)が、お稽古の合間に雑談をしておりました。

団地の三線サークルは、黎明期には10名以上参加していましたが、数年で師匠と私のマンツーマンお稽古になって現在に至っています。
師匠はとてもシャイで、お酒が入らないとお言葉がなく目も合わさないタイプ。
私は根本的に人見知り。
だから、お稽古の2時間の間で、二人が交わす言葉は「こんばんは」「こんばんは」「足痛いな」「痛いです」「じゃ、また来週な」「ありがとうございました」。
これだけだったのですよ。

ところが、シャイと人見知りの二人ですが、去年あたりから雑談ができるようになりました。
さすが15年の歳月は偉いわ~。
ま、それはいいとして。

師匠は石垣島出身なので、私はこんなことを聞いたのです。
「沖縄にも津波は来ますかね? 津波でうち上がった岩があるそうですが」

「ああ、明和の大津波の岩ね。あれはほんとうだはずよ。海からずいぶん離れたところにあるけど、貝がらやサンゴがついているさ」
師匠は続けた。
「この前、八重山(石垣島のこと)に帰ったとき見たら、そこに道を通すって岩を削ってすごく小さくしていたさ。道がそんなに大事かね。ちょっと避けたらいいだけさ」
「えええ~! ひどい! 世界遺産じゃなかったんですか!」

というような会話があったのでした。

明和の大津波は1771年。
石垣島の人口が半分になったほどの甚大な被害だったそうです。
今度の大震災では、沖縄にも津波警報が出ましたが、津波を見ようと海岸に行った人も多かったのです。ホント、そういうのやめてよね。


日曜日、がらモンは親戚の披露宴に行ってきました。
新郎が働いている映像会社は、映像の学校も持っていて寮もある。
その寮を、被災した人に提供しているのだそうです。
寮の提供のみならず、
「披露宴に招待されていたよ」とのこと。

実に沖縄っぽいエピソードです。