緑のカーテン2011年07月05日 22時39分43秒

今年はゴーヤーの苗が品薄なのだそうですね。
全国でひっぱりだこになっているゴーヤーさんたちには、ぜひとも頑張ってもらいたいです。

去年は、うちでもゴーヤーで緑のカーテンを作りました。
収穫も期待したのですが、小さいゴーヤーが3本だけ。
無農薬だけど無肥料だったからかな。
それでも、黄色い小さい花は毎日毎日どんどん咲いて、全部隣のおうちのエリアに飛んでいくのでした。(ご迷惑^^;)

だから今年のカーテンは、コレ!

ヘチマのグリーンカーテン
ヘチマだ!

葉っぱ一枚一枚がすごく大きくて、緑のカーテンにピッタリです。
実が生りますように! ワクワク・・・。


暑さ対策に、ぴぐモンは床屋さんに行きました。
全身丸刈り。

サマーカットしたぴぐモン
毛を刈ったら小柄な犬になって、ニャンギラスの方が大きい・・・って、そんな馬鹿な。
何故かニャンギラスは、写真写りがデカいのです。


寝たきり時代のカニゴン。

カニゴンの初代サークル
急ごしらえのサークル1号機(段ボール切っただけともいう)。
いつもニャンギラスが見守り介護をしていました。

3日後、ニジリ歩きが上手になって、このサークルの意味は完全になくなりました。
今では、車いすアスリートをホーフツとさせる力強さで、部屋中ニジリ動きしています。


ゴミが激増!2011年07月04日 20時59分51秒

何気なく手に持った目覚まし時計が「ぽーお ぽーお」と鳴りだして止まらない夢を見て飛び起きた。
目が覚めても「ぽーお ぽーお」という音はずっと続いていた。
スロープを使ってベランダに降りたカニゴンが、「上がれなくなったよ~」と鳴き続けていたのだった。

抱き上げて座敷に戻したのだが、カニゴンはそれから歩けなくなりました。
弱かった後ろ足が、完全に動かなくなったようです。
ペットシーツを敷き詰めたコーナーを作り、そこに寝かせることにしました。

ぺットシーツが汚れると、そこだけ取り替える。
「おおっ 楽じゃん!」
寝たきりバンザイですよ。

カニゴンは、毎朝「おはにょ~」と台所に来て、じょー、とオシッコするのが日課だったし。
ウンコがお尻にくっついたまま、部屋中を歩き回るので、思わぬところが汚れているのが常だったし。
がらモンの布団と私の布団を渡り歩くので、毎日シーツを2枚洗わなくてはならなかったのよ。
曇りや雨の日でもシーツが2枚干せるように、部屋の中に洗濯ロープを張っておりました。

オシッコの水たまりが無数にあり、ウンコが点在しているベランダだったのが、ごく普通のベランダに戻った。
洗濯物を干すとき、「落としたら大変だ」とビクビクしていたのも、実はストレスだったんだわ。


さて、寝たきりカニゴン時代は、3日ほどで終わった。
後ろ足が動かないのには変わりないが、前足でニジリ歩きするのが上手になって、ペットシーツエリアから思わぬ早さで移動してしまう。
結局どこでオシッコするかわからない状態に戻ったのだ。
ペットシーツもどんどん汚してくれる。

汚れたペットシーツは新聞紙でくるんでゴミに出すのだが、いやはやすごい量ですよ。
生ゴミをあまり出さないから、ゴミが少ないわが家にとっては異常事態。
いやいや何とかしないとね。

だけど、老犬のペットシーツなんかは正しいゴミかも。
今日は、あちこちから「あの大臣が許せない! 頭おかしいよ!」という趣旨のメールが来たわ。
ゴミに出したくなるような大臣って何かしらね。

地デジのご準備2011年07月02日 23時34分41秒

地デジのご準備はできましたか。

昨日、テレビを見ていたら、テレビの左下に「アナログ放送終了まであと2、3日」と出ていたのですよ。
あと2、3日か・・・。
案外アバウトなのね。

そこまでぼーっっと考えていて、「そんなわけないじゃん!」と自分で自分に突っ込んだ私。
字幕と重なって、「あと23日」が「あと2、3日」に見えただけでした。

わが家では地デジのご準備がまだです。
私が台所で聞いている小さなラジオは、AM、FM、テレビの音が聞けるものなのです。
私はほとんどテレビの音を聞いていました。
テレビの音だけ聞いていると、ラジオ放送を聞くより情報量が少なくて、お弁当を作りながら聞き流すのにちょうどよかったのです。

だけど、今のラジオでは、テレビの音が聞こえなくなってしまうのね。
地デジのテレビが聞こえるラジオってあるのかな。
それをわざわざ買うのも腹立たしいです。
しかたないので、ラジオではラジオを聞いて我慢しようかと。

もう一つ、地デジのご準備がまだなのが、テレビを録画するやつです。
昔はビデオデッキと言っていて、今はDVDとか言っておりますが、これからは何なの?
名前はともかく録画したいのです。
あれこれ録画して、早送りして見たり、ちょっとみて消去したり、ワガママ放題な視聴者をやりたいの。

テレビは東芝なので、東芝の機械を買えば相性がいいらしい。
「だけど、東芝はいやだ! テレビは福山雅治に勧められたから東芝だけど(大嘘。お店で一番安かったから買っただけ)モンゴルに使用済み核燃料を埋めちゃえっていう会社はいやだあああああ!!!! あと、日立も避けよう」

♪この機 何の機 1号機
 想定してない機ですから
 見たこともない事故になるでしょう♪(4号機まで続く)

がらモンがどのメーカーを選ぶのか、これからのお楽しみです。
(また、お店で一番安かったのを買ったりして・・・)


避難訓練2011年05月26日 22時01分49秒

火事や地震の避難訓練はありましたが、津波の避難訓練はやったことがありません。

沖縄の学校現場でも、10%くらいしか津波の訓練はしていないのだそうです。
テレビのニュースで、これからマニュアルを作ろうとしている学校が映りました。
海抜0.7メートルのところに建っている中学校です。
その中学校は川のすぐそばで、横の道は川が増水すると水没することがよくあります。
(うちの近くなので、よくわかるのだ)

さて、テレビでは、先生たちが、高台の小学校へ歩いていこうとしていました。

おおっ! どの道を通るのか?
テレビ画面ににじり寄る私。
なぜなら私は、高台にある図書館から、うちに歩いて帰ろうとして、完全に道に迷ったことがあったからです。

下方向に進んでいけばいいのだろうと軽く考えたのですが、道は下がったと思えば上がり、目的地からどんどん離れていくような・・・。
脇道に入りたくても、脇道がないし。
そのとき、小学校のまわりも彷徨ったのです。
「ここは八甲田山か?」と思っていると、前方に女性が歩いているのが見えました。
「あの人についていこう」と勝手に決めたとたん、その人は脇道に入っていきました。

その道は、私が望んだ通り、下る道ではありましたが、「こ、これが道か?」と思うほど勾配が急な細い道。一人しか通れません。
片側はお墓が並んでいて、もう片側はマンションの建物です。
ご親切に手すりがついていたので、しがみつきながら下りました。
そこからさらに、一人半くらい通れる道を通って、やっと見慣れた中学校にたどり着いたのでした。
そんな経験があったので、先生たちの通る道を知りたかったのです。

期待してテレビを見ていると、、、、。
「あれ? こっちは行き止まりだ」
「やっぱりさっきの道を入ればよかったんですよ(怒)」
「この道だと細すぎて、生徒が歩くには時間がかかりすぎるね」

先生たち、完全に迷ってるじゃん!

「生徒と相談して道を探さないと」

がくっ。
図書館から帰るときは、近道を探すのはやめた方がいいかも・・・。

くすねた救援物資2011年05月22日 23時12分14秒

毎朝毎晩、紅茶やコーヒーを飲んでいて、いつもマクドナルドのマグカップを使っている。
とっても丈夫なマグカップで、もう16年使っておりますよ。


今度の震災で、団地に避難して来たのは今のところ2世帯。
阪神大震災の時は、10世帯以上が避難してきました。

当時私は、団地自治会の役員をしていたので、手押しキャリーで団地中を回って、救援物資を集めた。
団地の人たちは、「待ってたのよ」「来てくれてよかったわ」と、あれもこれも出してくれた。
食器やタオルは、引き出物の新品がたくさん集まった。
カーテンレールを出してくれた人もいた。
ツナ缶24個入りの箱や、海苔や干し椎茸もあった。(沖縄のお歳暮の定番だ)

その中に、マクドナルドのマグカップがあったので、被災者に届ける前に、私がもらってしまったのだ。役得?隠匿?
被災者からくすねるのか?私、とは思ったんですけどね。てへ。

で、山積みのキャリーを押して、避難してきたお部屋を巡った。
喜んで出してもらった救援物資は、喜んで引き取られていった。

避難してきたのは、お年寄りや家族連れ、一人世帯などさまざまだった。
一人暮らしの若い女性が3人いたので、お友達になったら心強いだろうと思って、うちに来てもらったことがある。
家具や物のないガランとした部屋から、ごちゃごちゃした私の部屋に入ったおじょうさんたちは、不思議な風景を見るように、部屋中きょろきょろしていた。
そして、大きな箪笥を見て、口々に言った。
「ここで寝てたらダメでしたね」
「そうそうダメダメ」

1年を過ぎた頃、ほとんどの人は阪神に戻っていった。
3人のおじょうさんのうち2人は、結婚して団地を出た。
団地に正式に入居して、今も暮らしているのは2世帯だけになっている。


先日、いつものようにレジに立っていたら、「あっ! ばるタンさんだ! 私を覚えていますか?」と声をかけられた。
結婚して団地を出たおじょうさんの一人だった。
少し離れたところにいただんなさんも、「来て来て! 団地のばるタンさんだよ!」とむりやり呼ばれ、二人並んで挨拶してくれた。


今度の震災で、ふるさとを離れた人たちが、どうかそこで新しい縁を得ることができますように。
私には夢見ていることがあるんだ。
それは、何年か後に、福島弁が日本中を席巻すること。
日本中に広がった福島弁が、新しい日本語になること。
想像するとわくわくします^^