樹木、法廷に立つ ― 2011年02月25日 22時55分49秒
ヤンバルクイナやノグチゲラやセマルハコガメや切られてしまう木のことなんかをね。
もし、話すことができるならば、みんなは何を話すのだろう、と。
あっ、そういえば、「樹木、法廷に立つ」で、桜の木が話していたんだわ、と思い出し、野菜炒めの途中ではございますが、本棚に向かった。
これですよこれ。
筒井康隆「最後の伝令」の中にある短編ですよ。
本を開くと、手に野菜炒めの汁がついていて、本にシミがついてしまった。
どーして、ご飯を作る途中で本を触るのかな、私。
だけど、犬猫も触るし、もうどうしようもないわ。
「樹木、法廷に立つ」では、桜の木が慣れない日本語を話している。
その慣れない日本語がけなげで、おかしくて、だけど、読み終わったときには森からの風に吹かれたような余韻がある。心がしんとして、深い感動があるのです。

今日のジュゴンです ― 2011年01月10日 22時40分41秒

おとうさんと子供が、夕日の沈む海を見ながらおしゃべりしている歌です。
「海のなかには何がいるの? クマノミ?」などと子供が聞き、おとうさんが「いるよ」と答えます。
「ジュゴンもか」「そうだよ」
仲むつまじい親子の会話でできている歌で、なぜか私のツボにはまり、聞くたびに胸がいっぱいになってしまう。
子供はあっという間に大きくなって、親よりも友達や恋人を選ぶようになります。
それは正しい成長なので、親は「やったぜ!」と喜んですみやかに子離れするように。
それまでの少しの間、まだ子供が親を必要とする間は、どうかたくさんのおしゃべりを楽しんでくださいますように。
今、がらモンがちょっと外出したので、ぴぐモンがさびしがって、ひんひん泣いております。
私がいるのに・・・。
なだめてもずっと泣いている・・・。ウザイ(←こういうのはダメ)
映画「ビルマVJ 消された革命」 ― 2010年07月03日 14時22分01秒
桜坂に映画を見に行きました。
「ビルマVJ」
VJが何のことかわからなかったし、記憶することができず、窓口では「ビルマの映画一枚」と言ってチケットをもらいました。
私は、ミャンマーが好きなのです。
行ったことはないけれど、第二の故郷だと勝手に決めている。
日本がつくづくイヤになると、「もう亡命してやるー!きー!」と思うでしょ。
さあ、どの国にしようかな?
ミャンマーがいい、と私は思っています。
サイクロンがミャンマーを襲ったとき、人々は家から持ち出せた食糧を、お寺に持って行ったと聞きました。
みんなが持ち寄った食糧をお寺で分配した、と。
尊敬と信頼を寄せることのできるお坊さんたちがいて、貧しくても助け合うことのできる人々がいる。
そんな人々に囲まれて暮らしてみたい、と思うのです。
サイクロン被害の少し前、2007年9月、ミャンマーでは民主化を求める大規模なデモがありました。
お坊さんを中心にした非暴力のデモの様子が、ニュース番組で流れていたので、胸をあつくして見ていた人も多かったことでしょう。
そして、軍隊による容赦ない弾圧の映像に、身もだえしたことでしょう。
私もその一人でした。
日本人のカメラマン長井さんが軍隊に射殺された様子もテレビで流れていたので、私は「外国人カメラマンや報道陣が大勢取材に入っていたのだろうな」と思っていました。
「だから複数の映像がある」と。
だけど、外国人ジャーナリストを熱烈歓迎する軍事独裁政権なんて、まずあり得ないわけで。
デモの映像から弾圧の瞬間の映像まで、ハンディビデオを持った命がけの人たちが密かに撮影していたのだそうです。
ビデオジャーナリスト、つまりVJです。
それを、ネットで配信し続けた「ビルマ民主の声」のドキュメンタリー映画でした。
お坊さんたちに連動して笑顔の市民たちが集まってくる場面や、スーチーさんの家に向かうデモ隊の誇らしげな顔。
次の日にはスーチーさんの家の前に幾重にも立ちふさがる兵隊や、四方から道を阻まれて動けなくなるデモ隊に襲いかかる兵隊。
ニュースで流れていたのは、ほんの少しだったんだ・・・。
どの場面も胸が痛い映画でした。
それでもやっぱり、ミャンマーは私の第二の故郷。
私の大切な人々が暮らしている場所です。
お坊さんと市民と、報道に命をかける人たちがそこにいるのです。
桜坂劇場で7月9日まで上映していますよ。
桜坂劇場から出たら、あとはお約束のお買い物。
かっこいい!Tシャツ!3150円。
今年はまた、辺野古の浜でピースミュージックフェスタがあるそうです。
資金あつめも兼ねたTシャツです。
猫さんもお気に入り。

後ろもこの通り。

お買い物は続く。
梅4キロ千円。
熟しているのでジャム用に買いました。

ゴーヤー山盛り50円。
うちは夫婦二人暮らしなのに・・・こんなにたくさんどうしよう。
だけど、50円だから買うよね・・・。

当分ゴーヤー責め。
展覧会の絵 ― 2010年06月07日 01時26分54秒
先日、「展覧会の絵」を演奏する辻井伸行さんのドキュメンタリー番組を見た。
ピアノ1台での「展覧会の絵」を聞いていたら、昔むかしに見た、手塚治虫のアニメを思い出した。
ムソルグスキーが展覧会のイメージを曲にして、手塚さんはその曲のイメージをアニメにしているのです。
曲の最後「キエフの大門」は、アニメでは悲しい結末だった。
(一度見ただけなので、実際とは違うかもしれないが)
大勢の人々と共に、絵に描かれていたキャラクターたち(記憶では、イヤなヤツの印象が強い)が楽しそうに門をくぐっていく。
どうやら天国へ続く門らしい。
石の門には、門を支えるような姿で半裸の青年たちが彫られていた。
全員が門を通り抜けて天国に向かったあと、浮き彫りの青年たちも天国に行こうと門から抜け出る。
自分たちもみんなの後を追おうとしたとき、門にヒビが入って崩れ落ちそうになるのだ。
悩む青年たち。
天国に行きたい思いに引き裂かれながら、浮き彫りの青年たちは、元に戻り、また門を支える。
大勢の人々は、門を支えていた青年たちのことなど、まったく気づいていない。
振り返りもしないで歩いていき、ついに見えなくなるのだ。
ちょうど日米政府が「普天間基地は、辺野古に移設」と発表した直後だった。
浮き彫りの青年と沖縄の姿が重なって、突然、アニメのことを思い出したのかもしれない。
でも、沖縄は戻りませんけどね。
基地を支えても、誰の助けにもならないですから。
アメリカのためにもならないですから。
あっ、ニャオス、爪切ってほしいの?
いや、パンチの練習だニャ。

よく降るニャー
物思いにふけるニャンギラス。
視線の先は、猫トイレと化したプランターです。

虫歯にガソリン ― 2010年04月10日 23時05分18秒

久しぶりに歯医者に行った。
「痛いところはありますか?」
「痛いところは全然ありませんが虫歯があったら治してほしいです。それから歯石を取ってください」
「わかりました。調べてみましょうね」
口を開けたまま考えた。
あー、痛くもないのに歯医者に来ちゃったよ・・・。
痛くならないうちに歯医者に来ることができるなんて、地球上の人類で何パーセントいるだろうか。超ぜいたくなことだ。
痛くても歯医者にかかれない、とか、歯医者がいない、とかいう地域の方が多いのではないか。
世界が百人の村だったら、歯医者にかかれる人は何人だろうか。
映画「亀も空を飛ぶ」では、クルド人の難民の少女が「歯が痛い」と言っていた。
両腕のない兄は「ガソリンを口に含んだらいいよ」と懸命に妹を気遣っていた。
戦争さえなければ、あの兄妹は両親と共に穏やかに暮らし、歯医者にも行けただろう。
米軍基地を「抑止力として必要」というご意見を目にするたびに、あの子供たちを思い出して「けっ!」と心で言ってしまう。
「亀も空を飛ぶ」はつらい映画だが印象が強くて、忘れられない。
映画をたくさん観るわけではないので、たぶん私の生涯ベスト3に入ってしまう映画だろう。ただ、人には決してお勧めしません。
あと、たぶん生涯ベスト3に入るのが「らくだの涙」というモンゴルのらくだの映画で、こちらも全然お勧めしません。
「大きな虫歯がありますけど、痛くなかったのですか?」
ええ~? そうだったの???
そういえば、ごはんつぶが歯のすきまにすっぽり入ってしまうような気がしていましたが、あれは虫歯だったのか・・・。
ガソリンを口に含みたくなる前に、歯医者に行ってラッキーでした。
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