悲しき発泡スチロール2009年04月07日 16時43分39秒

ちょっと思いついたことがあって、発泡スチロールを削る私。

きちんと測らずに、適当に削る。
小学校の図画工作のとき、先生から「ばるタンはアイデアはすごくいいんだけど・・・、いくらなんでも仕上がりが汚い。もっと丁寧に作れないものかしら」と言われたことを思い出します。
はるか昔の思い出なのに、今ここで言われた言葉としても完全にピッタンコです。
あと一万年生きて、いろんな工作をしたとしても、汚い仕上がりは変わらないんだろうな。
だけどさ、どうせなら「作業はめちゃくちゃなんだけど、アイデアはいいわね」と言ってほしいものですね。


しばらく必死に削っていたら、当然のことながら、カッターも床も私も、そばにいた黒猫も、発泡スチロールの白いつぶつぶまみれになりました。


思い出がさらに湧いてきます。

詰め物と言えばおがくずだった小学校の頃、百科事典ぐらいの大きさの発泡スチロールが、何かの荷物と一緒に入ってきました。
珍しくて珍しくて、これはいったい何だろう、何に使ったらいいのだろうか、と家族で盛り上がったものです。
「豆腐の代わりに味噌汁に入れる」というのは却下されました。
枕にしてみたらキシキシと音がして、やかましいということもわかりました。

祖母は、発砲スチロールにじっと手を当てて言いました。
「これはぬくい。手があたたまる」

そういういきさつで、暖房器具として祖母の部屋に置かれるようになった発泡スチロール。
いったいどういう生活なんだ、と思われるかもしれませんが、そういう祖母だったのですよ。

明治27年生まれの祖母は、アイデアが豊富で、手作業もきれいにこなし、労を惜しまず働く人でした。
そんな祖母が、発泡スチロールを見ているうちに何を思いついたのか、今となってはわかりません。
とにかく祖母は、何かの形にしようと、削ったのだと思います。

ぱたぱた・・・という音に気がついた私が祖母のところに行ってみると、発泡スチロールのつぶつぶを全身にまとった祖母が縁側に立っていて、必死でつぶつぶをはたき落とそうとしているところでした。
つぶつぶは静電気を帯びて、あっちにくっつき、こっちにくっつき位置を変えているだけで、絶対量は少しも減りませんでした。

あのあとどうやって収拾したのか、私にはそこの記憶がありません。



それから時が流れ、友人に「うちのおばあちゃんがね・・・」と、そのときの話をしたことがあります。
友人はまじめな顔で深く肯いて、「わかるわかる。そうなのよ。発泡スチロールは悲しいのよ」と言うのでした。

友人の話。
「子供の時、大きな発泡スチロールをもらってね、うれしくて、冷蔵庫を作ろうと思ったの。包丁でくり抜こうとしたら、想像したよりずっとよく切れるのね。あっという間に手までズバッと切っちゃった。もう血だらけよ」

さらに友人の話。
「つぶつぶはガムテープにくっつけて取ればいいのよ~」


そうか! おばあちゃんもガムテープを使えば良かったんだ! いいことを聞いた!と思いましたが、、あの時代の我が家にガムテープがあったとは思えません。
たとえあったとしても、ゴミを取るためにガムテープを使うなんて、きっと祖母は良しとしなかったことでしょう。もったいない、と言うに決まっています。


そんなあれこれを思い出しながら、ガムテープを大量に消費しながらつぶつぶ退治をしました。

なんとも判断のつかない変な工作が使い物になるのかどうか・・・それは今度の日曜日、国際通りで判断することになります。