拾う? 拾わない?2009年03月27日 23時36分07秒

仲良しみたいなぴぐモンとニャオス

仲良しみたいなぴぐモンとニャオス。
非常に珍しい風景です。



いつのことだったか、、、、、まだ中国が民主化されていない頃だから、20年以上前になるかも。

友達が内地から遊びに来たので、一緒に久米島に出かけたのです。
久米島から小さな船に乗り、はての浜という砂浜に降り立った私たち。
真っ白な平たい砂浜が海の真ん中に出現していて、あとは何もナッシング。
船は、帰りの時間を約束して帰ってしまい、海と空と砂浜だけです。
実に不思議なところでした。

波打ち際に沿っていろいろなものが打ち上げられていました。
きれいな貝殻やサンゴを見つけて拾っているうちに、漂着ゴミに目がとまったのでした。

見慣れない形のガラス瓶に、見慣れない文字。
世界の海を漂流してきた瓶にロマンを感じました。

ポケットサイズのカードが束になって流れ着いていました。
水に濡れても破れないようにコーティングしてある丈夫なカードです。
片面にはコンピュータールームや大学や病院などの近代的な風景の写真、裏には中国語で説明が書かれているようです。

友達は中国語を判読してくれました。
「これは・・・台湾から大陸に向かって流している宣伝ピラだ。台湾はこんなに進んでいるっていう宣撫工作だ。いや~、これは面白い」

友達は、漂着していたプラスチックのザルを拾い、見つけたお宝を入れ始めました。
「ちょうどいいのがあったわ~」
砂にまみれたお宝を、ザルのまま海で洗います。
「便利だわ~」



時は移り、あの時のことを楽しく、また感慨深く思い出すんですけど、もしかしてフジツボがいっぱいくっついたような手榴弾が落ちていたら・・・「さすが沖縄だわ~」と拾い上げていたのではなかろうか。
持って帰るかどうかは別として、あっちこっち向けたりひっくり返したりしてしげしげ眺めていたのではないかしら。


観光に来た大学生が読谷村の海岸で手榴弾を拾い、飛行機の手荷物に預けたりしながら7日間持ち歩いた、というニュースに「あわわわ」と思いましたが、大学生の無知を責めることはとてもできないです。
おじいさんが、拾った手榴弾を缶に入れて交番に届けた、という報道があったばかり。
何年か前のことですが、校外マラソンのときに手榴弾をみつけた中学生が、けとばしたり立ち木に叩きつけたりしながら学校に持ち帰ってきたと聞きました。
沖縄県民であっても、不発弾や手榴弾に対する状況はほとんど変わりません。
そういえば、県庁に運び込んでいたということも過去にありました。

何事もなければ、苦笑して終わりますが、次の日の報道では、不発弾処理をしようとした米兵が、爆発で亡くなったとのこと。辺野古のキャンプシュワブでの事故でした。


沖縄に観光で来られる方たちは、不発弾を見つけても拾わないで、通報だけしてください。
そして、流れ弾には注意して、飛んできたらサッとよけてくださいね!

コメント

_ KIRICKL△ND ― 2009年03月28日 13時28分48秒

私のハンドルネームの由来、瀬戸内海の江田島に住む友人の住所ですが、
共通の掲示板にちょくちょく不発弾発見のニュースが画像付きで載ります。
海岸の岩場に打ちあがったり畑から発見されたり。
真っ赤に錆びて、という表現そのものです。
この島には自衛隊の基地と米軍の弾薬庫がありますから、新品もいっぱいあることでしょうが。

ばるタンさんの助っ人ぶりが拝見できなくて残念です。
立体の一筆書きのはずが、きっといつの間にかザルや籠に!

_ ばるタン ― 2009年03月28日 22時50分16秒

◆KIRICKL△ND さん
江田島にも米軍の弾薬庫があるのですか・・・。
かつては海軍兵学校があったから、空襲もひどかったのでしょうね。
手榴弾を拾って空き缶に入れる人はいませんか?缶に入れたら安全な気がしたのでしょうね。
石垣島でも鍋をかぶせられていました・・・。

_ KIRICKL△ND ― 2009年03月29日 08時16分16秒

詳しくは知りません。
知り合いも水晶探しの最中に砲弾に出くわしたので。
たぶんこの島では集団自決を強いられることはなかったでしょうから。

_ ばるタン ― 2009年03月29日 23時25分08秒

◆KIRICKL△ND さん
水晶って、沖縄の不発弾のようにゴロゴロ出てくるものなのでしょうか?
集団自決はなかったとしても、被爆した人たちが運ばれてきた場所でしたよね・・・

_ KIRICKL△ND ― 2009年03月30日 07時21分54秒

江田島もそうであったか、存じません。
手前の似島(にのしま)には大勢運ばれました。
うちの子供たちが野外活動で利用したその足元に、
いまも遺骨は残っているでしょうね。

照葉樹林を戦後の燃料不足の折刈りつくして、
山を赤松だらけの風化花崗岩にしたくらいですから?
水晶はまさにごろごろ。
花崗岩は長石、雲母と石英(水晶)でしたね。
62ページにでていますよ。

_ ばるタン ― 2009年03月30日 19時14分40秒

◆KIRICKL△NDさん
江田島は軍事基地だったから、運ばれていないかもしれませんね・・・。
私の手元にある「広島第二県女二年西組」の本を見ると、二年西組ではお一人が大柿で亡くなっています。
8月6日には読み返す本です。
62ページ?何の???

_ PFC ― 2009年03月30日 21時13分05秒

拾う・拾わない・・・で、登山家の野口さんがフィリピンで戦争中に亡くなった日本人の遺骨を拾って帰国したニュースを思い出しました。

野口さんも最初はぱるたんさんみたいにゴミを拾ってたんですよね。海と山の違いはあるけれど・・・。

日本人の母親とアメリカ人の父親をもつ女性が沖縄について話ている記事を読んで紹介したくなったのでURLをリンクしておきます。
http://www.csij.org/archives/2007/01/post_50.html

中ほどのメーリングリストがどうとかというあたりです。

_ ばるタン ― 2009年04月03日 00時15分59秒

◆PFCさん
私のゴミ拾いは海ではなくて、自宅周辺ですよ~。
山とか海とかお出かけは嫌い・・・。暑いから・・・。
団地の周りは全部私の庭ですので、きれいになったら気持ちがいいですが、あまりきれいすぎるのは趣味じゃなかったりします^^;;;;

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