大都会にて2008年05月06日 23時45分46秒

茨城のジョンくん

大都会東京。

行き交う人が多すぎて、お互いに無関心にならざるを得ない東京砂漠であります。

その都会の無関心に助けられた私。
無関心ありがとう!
ナイス無関心!



友達のお芝居を見るために、開演1時間前に到着し、まず整理券をゲット。
ギリギリに入場すると、舞台にかぶりつきで幼稚園椅子や低いベンチに座ることになり、エコノミー症候群になったりします。私たちは通(?)ですので、後ろの方に陣取るために、早い会場入りを目指すのです。
10番代の整理券がもらえました。
入場まで、30分ほどあるので、少し歩いた場所にあるハンバーガー屋で過ごすことにしました。

3人連れの私たちそれぞれが、一番安い100円のドリンクを注文し、2階へ上がりました。
2階ならお店の人もいないだろうから、そこでおにぎりを食べようというコンタンです。
観劇の途中でお腹が空いたら困りますからね。

2階に店員さんはいませんでしたが、監視カメラはばっちりこっちを向いていました。
が、そこは年齢が年齢ですので気にせずおにぎりを食べる。

ほどよい時間になったので、ドリンクの容器を片付けて、会場に向かいました。
ちょうど整理番号順の呼び込みが始まったところでした。
すばらしいタイミングです。

番号札をまとめて持っていた私は、ポケットから札を出して配ります。
その時、「いつも右肩に下げているバッグが見えないけど左肩かな。あれ?左にも見えないけど後ろに回っているのかな???」と自分のバッグを見ようとその場で回転しました。

ど、どこにもない!!!!

そう言えば、ハンバーガー屋の2階から降りるとき、「何だか体が軽いな~。上るときはドリンクを3人分持っていたから体が重かったのかな?」と思ったのでした。

「バッグ忘れた~~~走って取ってくる!」

バッグの中には、無くなったら悲しい大事なアレコレが入っていたのです。

その1 クレジットカード 
その2 キャッシュカード
その3 なめ猫カード
その4 桜坂劇場会員証
その5 健康保険証
その6 現金たくさん(私にしては)
などなど。

空港ではクレジットカードで搭乗することになっていますから、持ち去られてしまったら飛行機にも乗れません。
あー!もうぴぐモンとニャオスに会えないの????(←そんなことはない

ひっきりなしに人が出入りする24時間営業のハンバーガー屋さんです。
次に席に座った人がいい人だったらカウンターにことづけてくれるでしょうが、悪い人だったらバッグは一瞬で消えているでしょう。

もし、バッグがなかったら・・・・
すごすごと引き返してお芝居を見ても絶対楽しくなれない。
私だけでなく、お連れの皆様も心から楽しく観劇できません。
せっかくの楽しいお芝居見物を台無しにしてしまうのでしょうか!

ぜいぜい・・・と息を切らせつつお店に飛び込んで、カウンターにダッシュ!
「黒いバッグ、忘れたんですけど届いてますか?」

店員さん全員、きょとんとフリーズする。
そうでした。ここはマニュアル通りの会話しか成立しない空間ですよ。

店員さんをフリーズさせたまま2階へ駆け上がって、座っていたソファのところに行きました。

そこで私が見たものは・・・。
他の人のリュックの下から顔を出している私のバッグ・・・。

ぽつんと取り残されていたバッグがあるのを全然気にせず席に座り、なおかつそのバッグの上に自分のリュックを放り投げて携帯電話に向かっている若者たちがそこにいたのでありました。

いくらなんでも、無関心過ぎやしませんかい?と普段ならマイナスに思ってしまうワタシですが、このときばかりは、無関心バンザイ!と都会の若者の生態を非常にありがたく思ったのでした。ホント、勝手なものです。

都会の無関心が幸いして、お芝居を楽しく見ることができましたし、飛行機にも問題なく乗れて、無事にうちに帰ってまいりました。
帰ってきたら、自動車税を始めいろんな支払いの用紙が届いていて、ひょえ~となりましたが。


写真は友達のうちの犬、ジョンくんです。
「大きな老犬を拾ったの」と聞いていましたが、野良をしていた苦労で老けて見えただけで、実はとても若い犬だったようです。
若い犬だったので、さらに成長して「すごく大きな犬」になっています。
ぴぐモンも、何がどうなってこうなったのかわからない雑種ですが、ジョンくんもぴぐモンに引けを取らない混ざり具合です。世界に一つだけの見事な雑種わんこと言えるでしょう。

ゴーヤーの日2008年05月09日 11時02分30秒

給食メニュー

昨日は、5月8日ゴーヤーの日でした。

那覇市の小中学生たちは、ゴーヤーチャンプルーの給食を食べていた模様。
それに、あわごはんとか麦ごはんとか、ヘルシーなものを食べているではありませんか。
うらやましいです。

私が子供だった時は給食といえばパンでしたが、そのパンも6年間でいろいろ変わりました。
最初は小ぶりの食パン4枚、普通サイズの食パン2枚、大きなコッペパン1つと変化していき、小学生最後の頃は、甘い小さなコッペパン2つだったりして、ご飯だかおやつだかよくわからないのがうれしかった記憶があります。

沖縄の離島で育った友達の話です。
「給食はパンとミルクだけ。おかずは自分で持っていくんだけど、持っていけないときは学校前のお店でホリデーマーガリンを買うの。おばさんが大きなマーガリンを切り売りしていて、新聞紙に包んでくれる。食べるときには、マーガリンに新聞の字が裏返しに写っているの。今思えば汚いよね。その頃は全然平気だったけど」

その時代の常識も、ほかの時代の非常識になってしまうんですね。


先日、こんな事件を知りました。
昭和25年、朝鮮戦争が激しかった時に、小倉で米軍基地から160人の米兵が脱走し、近隣の住宅で略奪や暴行などがあったというのです。
厳重な報道管制が行われたのだそうですが、松本清張が「黒地の絵」という短編でその事件を取り上げているとのこと。

さっそく読んでみました。
すると、事件の大変さにも驚きましたが、その時代の女性が置かれている立場があまりにも弱いことに愕然としました。
テーマとまったく関係ない表現の一つ一つにひっかかってしまうのです。
この時代に書かれた小説は、ほとんどがまだまだ女性の地位の低さを前提にしていると思います。

女性たちが60年かかって、少しずつ、少しずつ獲得したものの大切さをあらためて感じました。

夢のトイレ2008年05月12日 15時16分01秒

壷川在住のヤギさん

久しぶりに見たトイレの夢が、今までにないパターンのありえなさだったので、書きます。

あらかじめ言っておきますが超くだらないです。
でも、寝たままトイレをさせないために、ない知恵を振り絞って、変なトイレの夢を見させているわけで、私の脳味噌がいじらしいです。



私は、日雇いの仕事にありついたらしく、7、8人の人と一緒にマイクロバスに乗り込もうとしていました。
「バスに乗る前にトイレに行きたい」と言う人がいました。
責任者らしい人が、「では、会社のトイレを使ってください」と近くの建物に誘導していきます。
じゃ、私も行っておこうかな、と思い、ついていくことにしました。

ガラスの引き戸は木製で、レトロな出入口です。
その中が事務所になっていて、スチールの机が8つ、4つずつが向かい合っています。
それぞれの机の上は、書類や綴りがあれこれありますが、パソコン関係は見あたりませんでした。
年齢がさまざまな男女が7人、机に向かって仕事をしていました。

「トイレはどこですか?」
「ここです」

8つの机に事務員が7人。
ひとつ空いた机(その机の上にも、ほかと同じく書類やペン立てが乗っています)の椅子を引くと・・・椅子かと思えば椅子じゃない、洋式便器が引き出されてきました。

「はいはい」

ほかの人たちは、その便器にどんどん腰をかけて、次々にご用を済ませているし、事務の方たちも普通に仕事をこなしています。
でも、私にはできませんでした。
できなくてよかったんですけどね。
夢のトイレですから。


写真は、壷川のヤギさんです。

急なお知らせ2008年05月13日 09時45分30秒

本日(5月13日)午後2時5分から、NHK全国放送で大浦湾の映像が流れます。
アオサンゴやコブシメや、色とりどりのお魚が見られることと思います。

1時間の番組で、6分間だけだそうですが、きっと美しい海の姿を満喫できることでしょう。

埋めてはだめですよね~。大浦湾。

気がかり2008年05月14日 22時49分06秒

月桃(げっとう)の花

月桃(ゲットウ)の花の季節です。



ニュースを見ていたら、新型インフルエンザの対策として、医療関係者やライフラインの作業の人たちへのタミフル接種のことなどを言っていました。

フツーの人にはタミフルが間に合わないので、新型インフルエンザが流行ったら外に出て感染しないようにしないといけないのです。
そのために、
「家から出ないで暮らせるように、各自が2週間分の食糧を備蓄しておく」
のだそうです。

ふーーーーーーーーーん。
日本政府の言うことだから、「備蓄は自己責任」なんだろうな。



サイクロンでとんでもない被害を受けたミャンマーの人たちは、おうちにあった食べ物を持ち寄っている、というニュースを数日前に見たばかりです。

分け合い、助け合うことができるミャンマーの人たちに心から敬意を覚えました。

でも、今頃は持ち寄った食べ物もなくなっているのではないでしょうか。
中国の地震も心配ですし、急にニュースの少なくなったミャンマーはどうなっているのか非常に気がかりです。