嘉手納包囲ですよ2007年05月09日 23時40分12秒

今度の日曜日は、嘉手納にGO!

午後3時から嘉手納基地包囲があります。
ワタクシもぴぐモンも何としても行かなくては。

嘉手納基地の周囲17キロをみんなで囲んでしまいましょう。

バーチャル参加のみなさんに基地をお見せしたり、ぴぐモンと手をつないで基地を包囲してしまうのです。

でも、・・ぴぐモンは前足を握られることが大嫌いなのでした。
いったいどうなることでしょうか???

非暴力でGO!2007年05月12日 23時56分35秒

ギャオス寝てます

実家の犬、ギャオスくん。
寝てます。



辺野古では、環境アセスメント法も無視して、新しい米軍基地を造ってさしあげるための調査が始まろうとしています。

普天間基地を返還するためだと言いますが、普天間基地の部隊をグアムに移転させるためのお金は、日本が出すのですよ。
グアムに新しい基地を造るお金と、引っ越し費用と、さらにこれからの維持費も日本持ちです。
その上、辺野古に新しい基地ですか?
計算が合いませんが何か。



基地建設に反対する市民たちは、辺野古からカヌーを出したり、漁港のそばのテントに座り込んだりしています。

毎日、みんなで繰り返し確認しているのはこんなことです。

「生きて戻って来るこ と」
「完全に非暴力であること」

非暴力とは、相手をぶったり蹴ったりしないのはもちろんですが、ののしったり悪態をついたりすることもNGです。
言葉の暴力も暴力ですからね。

平良夏芽さんは、
「自分が殴られて痛い思いをするのは我慢できます。でも、仲間が殴られて海に落ちたりするのを見ると、相手に殺意を覚えてしまう。その気持ちと戦うのはほんとうに勇気が必要です」
とおっしゃっています。


どんなに大変でも、どんなに勇気が必要でも、非暴力だからこそ私も堂々と参加できるのだと思っています。

そして、一人でも多くの人に、辺野古のことを知ってもらおうとジタバタすることができるのです。

辺野古のテントで座り込んでいるのは、ただの、フツーの一般市民たちであって、もちろんまったくの丸腰ですよ~。

嘉手納基地包囲です2007年05月13日 23時30分47秒

今日は、嘉手納基地を囲んでやる~と出かけたのでした。

平和市民連絡会のお友達が集まるのは、安保の丘だということで、そこを目指してGO!

しかし・・・イナカ者なのでわからなかったのですが、北谷ってものすごく渋滞するのですね^^;
余裕で安保の丘に着けると思ったのに、車の中で時間はどんどん過ぎ去って行きました。

これでは3時の包囲に間に合わないー!

それに、嘉手納基地にはまだ着かないのに、行っても行っても行っても延々と米軍基地(嘉手納以外)のフェンスですけどーーー!

3時10分前に、やっと嘉手納基地の南端あたりにたどり着いたらしく、フェンスを囲む人々の姿が見えてきました。

あわてて路地に入って車を止め、とにかくそのあたりに混ざってしまうことにしました。

もちろんバーチャルの皆さんも、ぴぐモンも一緒です。

さあ、ぴぐモンいらっしゃい、お手手を握ってあげますよ。
ぴぐモン「きゃー、やだやだ、やめれー!!!」

・・・・・わかったよ。あきらめるよ。
しかたないので、ひもを持つことにしました。


バーチャルの皆さんは、いつでもどこでも人気者です。

「あっ! 猫丸って書いてある! あの猫丸さんですか? ファンなんです!」
と声をかけられました。

「そーです。あの猫丸さんですよ。私もファンでして、ついに友達になっちゃいました」
「たこ焼き、食べに行きたいと思っているんです」
「おいしいですよ~」

などという楽しい出会いもあったのです。


ニュースでは、嘉手納基地全部を囲むには人数が足りなかったと言っていました。
でも、人が多くて手を縮めて繋いでいたところもあったようです。
全長17キロだか18キロに、同じ程度の密度で人を配置することはとても難しいですよね。
全員に情報を伝えることもなかなか大変です。
携帯メールやラジオを有効に使うことはできないものでしょうか。

こうしたら、ああしたら、とアレコレ思いますが、ナマ参加の皆さん、バーチャル参加の皆さん、お疲れさまでした!

また、よろしくお願いします!

35年2007年05月14日 23時06分48秒

5月15日は復帰の日。
米軍に統治されていた沖縄が、日本に復帰して35年になります。

「今日から47都道府県」という新聞の記事を覚えています。
それまで46都道府県だったので、「これからは47! 間違えないようにしないと沖縄県がカワイソー」と思いました。
転校してきたものの、自分の給食がなかったりしたら、悲しくて泣いちゃいますよ。

問題は山積みでしたが、とりあえず沖縄が日本になったので感慨深い日だったのです。


ところで。
琉球朝日放送のドキュメンタリー番組を見ていると、沖縄に駐留していた軍関係者が、こう言っていました。
「復帰はもっと早くてもよかった。復帰後も米軍基地がそのままだから」

結局、包装紙は変わっても、箱の中身は米軍統治のままだと思われているんですよね。
でも、復帰前は米軍の予算で基地を維持していたのですが、今は日本の税金です。
日本中が米軍統治下になって35年ってことかもよ~。



「たんすにジュゴン」がこんなところに!
ナコさんのブログ「変なOLの徒然日記♪」を見てみて!

ちょっと辺野古へ2007年05月16日 21時31分25秒

今日は、「とにかく辺野古に向かってしまおう」と思い立ち、すでに午後になっていましたが高速バスに乗りました。

車で行けばいいのにね。
でも、天気予報は「午後から大雨、大荒れ」。
行く自信はなんとかあるけど、帰る自信が全然ありませんよ。

南部から北上していくにつれ、白い花の咲いている木が目につくようになりました。

イジュ(つばき科)の木です。

三線のお稽古で歌う「辺野喜節」を思い出します。

いじゅぬ きぬ はなや
あんちゅらさ さちゅい
わぬん いじゅやとぅてぃ
ましら さかな

「イジュの木の花がきれいに咲きましたよ、わたしもイジュの花のように真っ白な心でいましょう」

いい歌だな~。国歌にしてもいいわね。

宜野座インターチェンジで高速バスを降りて、一般道でバスを待ちます。
このあたりでは、交通量が少ないせいか、米軍車両やYナンバーが非常に目立ちます。

米軍の大きなトラックが、かなりのスピードで走ってきました。
トラックに続いて、ジープが何台も猛スピードで通り過ぎていきました。
あれは完全にスピード違反だな。
でも、日米地位協定で、取り締まれないのかも。

上空からは、戦闘機が飛ぶゴーーーーーという音が響いています。



辺野古のテントもプレハブも、無事でした。

事前調査のための作業は、今日は行われなかったそうです。

ただ、自衛隊のヘリコプターが、何度も、テントを覗くように低空飛行したとか。
自衛隊の艦船から飛んできたのかも、とのことでした。

ヘリコプターの人、見えたかな。
吹き飛ばされそうなテントの下に座っているおじいやおばあが。
組織でも動員でもなく、ただ心配で集まってきた普通の人たちが見えたかな。
「非暴力」を誓って、「肩から上に手を上げないようにするといいよ」と話し合っている人たちが。
疲れているはずなのに、にこにこ笑っている人たちを、どうぞ見てほしいです。



いつもありがとうきっこさん。
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