ジャム2007年01月13日 23時56分15秒

毎年、梅酒と梅サワーを作り、引き上げた梅はジャムにしている。
手持ちの梅ジャムは最後の一瓶になったが、安売りユズでママレードを作った。
これでまた当分ジャムには困りません。

ジャムを作りながら、気持ちはいつもポーランドとオランダを行き来する。
(実は、地理も全然わからないのですけどね・・)


アンネ・フランク一家をはじめ、隠れ家の人たちをサポートした女性ミープ・ヒースさんは、ポーランドで生まれた。

当時のポーランドは戦争や凶作で、子供たちが飢え死にする事態になっていたそうだ。
国の政策で、食料のある地域へ子供たちが送られることになった。

幼いミープさんも、首に行き先の札をぶら下げられ、列車に乗せられた。

列車には、同じように札を下げた子供たちで満員だ。
駅に着くたびに、子供たちは何人かずつ降りていく。

ある駅でミープさんは降ろされた。
駅の待合室のベンチで待っていると、子供たちの札を一枚ずつ確かめていた男の人が、ミープさんの札に手を止めた。
そして、「よし」とうなずくと、ミープさんの手を引いて夜の町を家に連れて行った。

子供の多い家で、「一人ぐらい増えても同じだ」とその家族は思ったのだそうだ。
言葉もわからないオランダで、ミープさんの生活は始まった。

次の朝、ミープさんを仰天させたことがある。
そこの子供たちは、パンにジャムを塗って2枚合わせて食べるとき、2枚のパンのどちらにもジャムを塗ったのだ。


オランダで成長したミープさんが入社した会社は、ジャムの凝固剤ペクチンを売っていた。
そして、「おたくのペクチンを使ったけどうまくできないわよー」などという主婦からの電話に、使い方をきちんと説明する仕事をこなしていく。
会社の社長はオットー・フランク。アンネのお父さんだ。


ミープさん夫婦は、隠れ家の生活を支え、アンネの日記を保管し、家族をすべて亡くして戻ったきたオットーと一緒に暮らすことになる。




私がアンネの日記を読んだのは12歳の時でした。
ちょっと読んでびっくりしましたよ。
今のアンネの日記は深町眞理子さんの訳ですが、当時は皆藤幸蔵さんの訳で、それはそれは漢字が多かったのでした。

アンネは13歳、私は12歳。
「アンネちゃんすごい~! こんなにいっぱい漢字を知ってる! 毎日『親愛なるキティー様』って書くなんて大人みたい! 私もあと一年たったらこんなに漢字が書けるようになるのかなあ・・・ならないだろうな・・・」
それからずっと尊敬しております。

コメント

_ pyo ― 2007年01月14日 13時48分35秒

そんな話があったんですかー。
昨日図書館でアンネの日記をみかけたんですが
入り込みそうで手にとることが出来なくて
赤毛のアンを借りてきました。
(こども文庫コーナーでウロウロしてた私)

ところで先日、生まれる前に予定してきた運命がわかる
という占星術なるものに占ってもらったんですが
私の人生はこのあと波乱万丈なことはなく、平凡で幸せなんだそうです。

嬉しくなって「じゃぁこのあと沖縄が戦争に巻き込まれることないのね!」と主人に話したら
「そんな基準で嬉しくなるのか?!」と言われちゃいました。
だってだって、嬉しいですよね、
平凡で幸せな人生が確約されたって事は、戦争に巻き込まれないよ、って事だと思うし。

_ ばるタン ― 2007年01月14日 22時16分28秒

>pyoさん

この話は、ミープさんがお書きになった「思い出のアンネ・フランク」という本に出てきます。
今は絶版になってしまいましたが、図書館にはあるかと思います。
アンネの日記よりも読みやすいかもしれません。
アンネは非常に客観的に状況をわかりやすく書いていますが、背景などは省略されたりしますからね。
機会があったら、ぜひお読みになってくださいね。

pyoさんが戦争に巻き込まれずに平凡で幸せということは、私も戦争に巻き込まれないということで、たとえホームレスになっても幸せです。
pyoさん! 絶対に早死にしてはいけませんよ!
平凡で幸せな人生を長ーく長ーく続けましょう!
105歳でハブを退治したおばあみたいに、元気で長生きしてくださいね!!!!

_ PFC ― 2007年01月16日 20時11分26秒

はじめまして。
さくら子さんのブログでお名前を拝見して参りました。

「アンネの日記」は大人になってから読みました。あの時代に隠れ家の人々をかくまったミープさんの勇気はすごいですね。

TVか何かのドキュメンタリーで、アンネ一家の存在を密告した人物を見たような記憶があります。収容所の子供たちが、トイレの便槽の中に逃げ込んで、後から逃げて来た子供に「ここはもう一杯だ。お前が来ると見つかるから来るな」と叫ぶシーンが忘れられません。

映画「ショア」はご覧になりましたか?

ご存知かも知れませんが、福山市の「ホロコースト記念館」はアンネのお父さんと日本人との交流から誕生した施設です。沖縄からは遠いかも知れませんが、機会があれば是非訪問してみてくださいね。

お邪魔しました(^^ゞ

_ ばるタン ― 2007年01月16日 23時46分12秒

>PFCさん

はじめまして! いらっしゃいませ~

「思い出のアンネフランク」を読んで、オランダではとても大勢のユダヤ人がかくまわれていたことを知り、ほんとうに感動しました。
自分たちの食べ物も困窮していく時ですから余計です。

もし、自分だったらできるだろうか・・・。
ミープさんご夫婦は、ご自宅にもユダヤ人の青年をかくまっていたのです。

「ショア」のことは知らなかったので検索してみましたが、うーん・・・見る勇気がないかも・・・。

「ホロコースト記念館」のことも、初めて知りました。
日本にそんなところがあり、しかも新しく建て直すほど人々が訪れているのですね。
貴重な情報ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします!

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_ はるのかんたんふ - 2007年01月15日 23時12分35秒

前回ご紹介したサイト「白バラの祈り}のインタビュー映像ですが、見られない方もいら