骨はどこ? ― 2007年01月10日 22時54分21秒
生協の共同購入をしているのですが、最近、非常にもの足りなく感じています。
なぜなら、骨がないから。
カタログの魚のページを見ると、すべて「骨なし」。
どうして魚から骨がなくなっちゃったの???
魚の骨からおいしいエキスが出るのではございませんか?
鮭にいたっては、「骨なし皮なし」ですよ。
鮭の皮をカミカミしたいのに。
カタログが骨なしばかりになったので、わが家では魚を買う回数が減ってしまいました。
「多くの人に食べてほしい」と思って始まった骨なしブームなんでしょうが、逆になっております。
骨ありもカタログに載せてほしいな。でも、注文するの私だけかな。
お稽古初め ― 2007年01月12日 23時42分10秒
昨夜は三線サークルのお稽古初めだったので、おめでたい歌から始まりました。
「かじゃでぃ風」の替え歌で、
「新年に 炭と昆布を飾って 心も姿も若くなる」という歌が、今年のお稽古の幕開けです。
それから、石垣島のおめでたいソング「鷲の鳥」、沖縄本島のおめでたいソング「かじゃでぃ風」を歌って、「今年もよろしくお願いします」のご挨拶をしました。
全然おめでたくない!という思いが渦を巻く今日この頃なので、歌っていても実は悲しい。
悲しい気持ちをうち消そうと、大きな声でがんがん歌う。
まるでやる気満々みたいなお稽古初めになりました。
自慢じゃないけど、私は「ナントカの水」とかのペットボトルを買ったことがありません。
蛇口につけるちっちゃい濾過器を時々取り替えるだけです。
濾過器を通すと水の出がチョロチョロになってしまってめんどくさいので、ほとんどはただの水道水でございますよ。
沖縄本島の水瓶、福地ダムから米軍のペイント弾、照明弾、手りゅう弾などが見つかったわけですが、やっぱり水道水を飲んでいます。
そのほかも、何が混ざっているかわからないですけど。
三線サークルの先生と、たった一人の生徒である私、サークル開始から11年目になりますが、特に病気や怪我もなく続けてこられたことはおめでたいと言えるでしょう。
特殊な水道水を飲まされながら、よくぞ元気でやってこられたものです。
やっぱり非常におめでたいかも。
ジャム ― 2007年01月13日 23時56分15秒
毎年、梅酒と梅サワーを作り、引き上げた梅はジャムにしている。
手持ちの梅ジャムは最後の一瓶になったが、安売りユズでママレードを作った。
これでまた当分ジャムには困りません。
ジャムを作りながら、気持ちはいつもポーランドとオランダを行き来する。
(実は、地理も全然わからないのですけどね・・)
アンネ・フランク一家をはじめ、隠れ家の人たちをサポートした女性ミープ・ヒースさんは、ポーランドで生まれた。
当時のポーランドは戦争や凶作で、子供たちが飢え死にする事態になっていたそうだ。
国の政策で、食料のある地域へ子供たちが送られることになった。
幼いミープさんも、首に行き先の札をぶら下げられ、列車に乗せられた。
列車には、同じように札を下げた子供たちで満員だ。
駅に着くたびに、子供たちは何人かずつ降りていく。
ある駅でミープさんは降ろされた。
駅の待合室のベンチで待っていると、子供たちの札を一枚ずつ確かめていた男の人が、ミープさんの札に手を止めた。
そして、「よし」とうなずくと、ミープさんの手を引いて夜の町を家に連れて行った。
子供の多い家で、「一人ぐらい増えても同じだ」とその家族は思ったのだそうだ。
言葉もわからないオランダで、ミープさんの生活は始まった。
次の朝、ミープさんを仰天させたことがある。
そこの子供たちは、パンにジャムを塗って2枚合わせて食べるとき、2枚のパンのどちらにもジャムを塗ったのだ。
オランダで成長したミープさんが入社した会社は、ジャムの凝固剤ペクチンを売っていた。
そして、「おたくのペクチンを使ったけどうまくできないわよー」などという主婦からの電話に、使い方をきちんと説明する仕事をこなしていく。
会社の社長はオットー・フランク。アンネのお父さんだ。
ミープさん夫婦は、隠れ家の生活を支え、アンネの日記を保管し、家族をすべて亡くして戻ったきたオットーと一緒に暮らすことになる。
私がアンネの日記を読んだのは12歳の時でした。
ちょっと読んでびっくりしましたよ。
今のアンネの日記は深町眞理子さんの訳ですが、当時は皆藤幸蔵さんの訳で、それはそれは漢字が多かったのでした。
アンネは13歳、私は12歳。
「アンネちゃんすごい~! こんなにいっぱい漢字を知ってる! 毎日『親愛なるキティー様』って書くなんて大人みたい!
私もあと一年たったらこんなに漢字が書けるようになるのかなあ・・・ならないだろうな・・・」
それからずっと尊敬しております。
シュークリーム ― 2007年01月14日 23時52分54秒
今日は、きくちゆみさんの講演会に行きました。
アメリカの気骨ある青年たちが作った、9.11関連の映像上映がメインでした。
貿易センタービルが崩壊する場面を見ると、私の中のどこかが激しく摩耗する気がします。
磨り減った部分を補給しないと。そのために甘い物が食べたいなあ・・・と思う帰り道。
今の日本は、納豆もなければ、シュークリームの絶対数も少なくなっているのですよね。
シュークリーム、食べたいなあ・・・。
今日は作れなかったので、ずいぶん前に作ったシュークリームの写真を見て我慢です~
勝負服 ― 2007年01月15日 23時07分04秒
冬は沖縄でも寒いので、さあやるぞ!という時の勝負服として、かっぽう着が大活躍している。
染めたり織ったり、掃除をしたりと作業はあれこれあるが、動きやすくて暖かいのがなによりだ。
でも、さすがに沖縄なので、冬はあっという間に去って暑くなる。
そうなると、かっぽう着はお役ご免だ。
着る時期が短いので、何年も同じかっぽう着が元気に現役です。
ちょっとチロリアンな感じのかわいいデザインで、私の年齢とビミョーに合わなくなっているようだがボロくなるまで着続けますとも。
お母さんの象徴とされる真っ白いかっぽう着は、実家では決して見ることはなかった。
私の母が忌み嫌っているからだ。
国防婦人会を思い出して嫌なのだそうだ。
だから私も、今までもこれからも、色や柄のかっぽう着しか着ませんよ。
白はすぐ汚れちゃうしね~。
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