危険なへんてこヘリコプター ― 2010年06月06日 01時05分02秒
ネットを渡り歩いているうちに、へんてこなヘリコプターのオスプレイが着陸する画像に出会いました。
アメリカの航空ショーだったのですが、強風を巻き起こし、樹木が倒れてけが人が出たのだそうです。
2012年には沖縄に配備されるというオスプレイ。
(アメリカ政府は発表しているけど、日本政府は曖昧な表現ではっきり言わないのですが・・)
普天間基地だけでなく、ヤンバルの森にヘリパッドを造り、そこでも訓練するつもりなのですが、ヤンバルクイナやノグチゲラ、セマルハコガメなどは吹き飛ばされてしまいます。やだやだ。
航空ショー見物の人たちは画面右奥にいたようで、砂ぼこりと一緒に荷物らしきものも舞い上がり、オスプレイの轟音の中、悲鳴も聞こえます。
左から、大勢の人が、助けに走って行きます。
消防士さんや警官、スタッフジャンパーを着た人たちなどが、どんどん左から右へ走ります。
そんな中、着陸したオスプレイからは兵士たちがどんどん降りてきて・・・何をするかというと、銃を構えてかっこよくポーズをとっているんです。
軍隊に、市民を守ったり助けたりする機能がないことを、見事に現してくれていますね。
今日の3兄妹
いつも距離をおいて寝ているニャオスとニャンギラスなのに、今日はなぜか至近距離でお昼寝です。
ニャオスのお尻にちょっかいを出しそうなニャンギラス。
ニャオスは超超超怒りんぼだから、やめれ。
結局は、仲良し兄妹がいつものクッションに集合です。
このクッション、元の色が思い出せない・・・。
号外です ― 2010年06月02日 13時14分57秒
号外をもらってきましたよ。
「わーい。ごうがいだー」
座り心地はどうかね、ニャオス。
今日は、福島みずほさんが沖縄に来られるというので、街頭演説予定のむつみ橋に出かけたのです。
ぴったりの時刻に到着したので、「人ごみの後ろからお姿を拝見するんだわ~」と思ったのに、あり? いつもの街角の風景ではありませんか。
街宣車の姿もないし。
きょろきょろしていたら、
「みずほさんは、那覇空港からとんぼ返りされたそうですよ」と教えてくれる人がいました。
残念だけど、仕方ないですね。
うちに帰ってニュースを見たら、ジュゴン柄のかりゆしウエアを着たみずほさんが映っていました。
わたくし、総理がやめるかどうかには、全然興味が持てないです。
辺野古に新基地を造らせないムーブメントにしか興味がないなあ・・・。
あとの興味は梅。
(青梅が出てきましたね~^^)
逆なでテレビ ― 2010年05月30日 23時53分09秒
精神衛生上良くないでしょ。
でたらめ言われちゃうし。
沖縄県民の気持ちを逆なですることばかりよ。
だけど偶然見てしまうことがあって、そのヒドさを友達と分かち合うことにしました。
「滝川クリステルが沖縄に来ていたの」
「現地取材は大事だからね」
「タクシーを降りて『めんそーれ』って言ったの」
「間違えたの? いらっしゃいって言っちゃったのね」
「だけどさあ、どうしてそこを放送したのかなあ。スタッフ誰も間違いに気がつかなかったってことでしょ。カットすればいいじゃない」
「沖縄のことをわかったふりしてるけど全然わかってないんです、っていう深―い意図があるかも」
「いや、多分本物の無知」
「自民党のアレがテレビに出ていたのよ」
「アレって誰」
「名前も言いたくないけどあえて言うならイシバ」
「アレでいいよ」
「アレが言ってたの。何年もかかって日米両政府が研究した結果がV字型滑走路だって」
「どっかーん!(←怒りが爆発した音)何言ってんのよ! 一日で決めたくせに!!!! 私はアレがこういうのを聞いた! 自民党が辺野古に移設できなかったのは、何年も何年もかかって丁寧にアセスをやっていたからだって」
「どどどどどどっかーん!!!(←怒りが爆発した音) ふざけるなー! いい加減なアセスをしやがったくせに!!!!」
「くやしー!」
「くやしー!」
「埋め立てじゃなくて杭打ち桟橋方式って言ってたでしょ。そしたら海の環境が守れるからって」
「言ってたけど、杭は攻撃されたとき、復元が難しいからだめなんだってよ。基地が攻撃の的だってはっきり言ってるわけよ」
「さすが抑止力じゃなくて誘発力だね。杭打ち方式でも桟橋で日陰になるから、結局は環境に悪いってことになったでしょ。だからー」
「だから?」
「桟橋を強化ガラスで造るんだって。そうしたらお日様の光が海に届くって」
「ぎゃははははは!」
「ぎゃははははは!」
ほんと、いい加減にしろ。
ほがらかに ― 2010年05月29日 21時42分55秒
私が沖縄に住み始めたのは復帰後10年目のこと。1982年だ。
沖縄はテレビのチャンネルが少なくて(今でも少ないけど)、画面が突然「しばらくお待ちください」になることも多かった。
NHKのローカルニュースでも、VTRが出ないことがよくあった。
どんな状況でも機転をきかせて説明する、地元の女性アシスタントが素敵で、夕方のニュースが楽しみだった。
その番組で、インタビューされていた女性の言葉を、今でも時々思い出す。
「私は戦争のことは忘れるようにして、ほがらかに暮らしています」
私はそのとき、「自分で自分をほがらかって言うか?」というポイントに違和感を覚えたのだ。
私の中では、「戦争のことは忘れるようにして」という部分は、当然至極のことだったのだから。
無知だった自分が、身もだえするほど恥ずかしい。
私はこう思っていた。
「戦争被害は、沖縄だけじゃない。広島も長崎も、幾多の空襲もあった」と。
しかし、無知な私も沖縄に暮らしているうちに、だんだんと沖縄戦や占領時代を知ることとなる。
沖縄の戦争被害が一番悲惨だった、というつもりは全くない。戦争に悲惨さの上下なんてない。
ただ、沖縄戦は地上戦だし期間が長かったこともあり、軍隊の本質をはっきりと沖縄の人々に見せつけたのだと思う。
つまり、軍隊は住民を守る機能は何もなくて、住民から食料を奪い、隠れ場所を奪い、泣く赤ちゃんを殺し、方言で話せば殺すという機能なら有していたということだ。
かろうじて生き残った人々は収容所に集められたので、沖縄の土地は米軍の好き放題となった。
収容所時代が終わり、荒れはてた土地を開墾し、やっと暮らし始めたあとも、米軍が望めば土地は接収された。
座り込んだ人々は銃剣を突きつけられ、農地や家はブルドーザーで押しつぶされた。
人権も何もなかった。
悲惨な体験を忘れるようにして、必死でほがらかにしていたのだ。
沖縄の人たちは、過酷な状況の中を歌ったり踊ったりしながら、本当によく耐えたと思う。
たとえ、目の前で家を潰されても、故郷がフェンスで囲まれて入れなくなっても、基地で働かざるを得なくなっても、耐えてきたのだ。
沖縄ほど、米軍基地との共存に努力した地域はないだろう。
米軍基地からは轟音と共に爆撃機が飛んでいく。
毎日毎日、戦闘機を間近にしながら、沖縄は平和を希求し続けてきた。
そんな沖縄の人の「もう基地はいやだ。軍隊はいやだ。平和に暮らしたい」という思いを、誰が非難できる?
昨日の集会の後、国際通りをデモ行進した。
店番のおばちゃんたちは、店先に出てきて手を振ってくれた。
マスコミは「反対グループ」などと名付けて、特殊な人たちのように言いたがるけど、基地に反対しているのはただの一般ピープルだ。
沖縄はあきらめない。
基地は地球上のどこにも必要ないものだから。
昨日もらった「怒」
雨だったので、「怒」を濡れた傘に貼り付けてデモしました。
県民広場にGO! ― 2010年05月28日 14時34分38秒
辺野古に新基地なんてとんでもない!
夕方から県庁前広場で集会があるのよ。
反対のシンボルカラーの赤い服を探していたら・・・ありましたありました。
真っ赤なジャンパー♪
これは、友達の引越を手伝ったとき、お礼の現物支給としてもらったもので、友達が勤めていた会社のロゴ入りです。
その友達は、原色が好きで、真っ赤なトレーナーをよく着ていました。
トレーナーには偽物キティーちゃんの絵がついていて、「HOLLOW KITTIN」。
ハローキチンって何だよ・・・。
服の用意はできたので、スーパーに行ったついでにおやつのチョコレートを買ってきました。
大雨の普天間基地包囲に、持って行ったのと同じチョコレートです。
あのときも、1回目の包囲のあと、まわりの人たちと分けて食べたのです。
まだ半分以上残っていたのですが、雨の勢いがひどくなり、2回目、3回目の包囲のあとは、チョコレートをリュックから出す気にもなれない状態。
うちに帰ってリュックを開けたら、びしょぬれの紙箱が破れていて、チョコの粒がリュックの底に散乱していました。
「あーあ」と言いながら食べましたけどね。
今日は、一箱全部を周りの人と分けて食べるのが目標なんですよ。
(だけど、また雨だよ~ん^^;)
SHINAKOSANのブログが、いろいろわかりやすいです~(丸投げ)。
ゴーヤーの花が咲きました。
今年はできるかな?緑のカーテン。
苗を二つ買って、すでに一つは枯れました。。。
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